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怪夢
かいむ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「夢野久作全集3」 ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年8月24日
初出「文学時代」1931(昭和6)年10月、「探偵クラブ」1932(昭和7)年6月
入力者柴田卓治
校正者しず
公開 / 更新2000-06-09 / 2014-09-17
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

工場

 厳かに明るくなって行く鉄工場の霜朝である。
 二三日前からコークスを焚き続けた大坩堝が、鋳物工場の薄暗がりの中で、夕日のように熟し切っている時刻である。
 黄色い電燈の下で、汽鑵の圧力計指針が、二百封度を突破すべく、無言の戦慄を続けている数分間である。
 真黒く煤けた工場の全体に、地下千尺の静けさが感じられる一刹那である。
 ……そのシンカンとした一刹那が暗示する、測り知れない、ある不吉な予感……この工場が破裂してしまいそうな……。
 私は悠々と腕を組み直した。そんな途方もない、想像の及ばない出来事に対する予感を、心の奥底で冷笑しつつ、高い天井のアカリ取り窓を仰いだ。そこから斜めに、青空はるかに黒煙を吐き出す煙突を見上げた。その斜に傾いた煙突の半面が、旭のオリーブ色をクッキリと輝かしながら、今にも頭の上に倒れかかって来るような錯覚の眩暈を感じつつ、頭を強く左右に振った。
 私は、私の父親が頓死をしたために、まだ学士になったばかりの無経験のまま、この工場を受け継がせられた……そうしてタッタ今、生れて初めての実地作業を指揮すべく、引っぱり出されたのである。若い、新米の主人に対する職工たちの侮辱と、冷罵とを予期させられつつ……。

 しかし私の負けじ魂は、そんな不吉な予感のすべてを、腹の底の底の方へ押し隠してしまった。誇りかな気軽い態度で、バットを横啣えにしいしい、持場持場についている職工たちの白い呼吸を見まわした。
 私の眼の前には巨大なフライトホイールが、黒い虹のようにピカピカと微笑している。
 その向うに消え残っている昨夜からの暗黒の中には、大小の歯車が幾個となく、無限の歯噛みをし合っている。
 ピストンロッドは灰色の腕をニューと突き出したまま……。
 水圧打鋲機は天井裏の暗がりを睨み上げたまま……。
 スチームハムマーは片足を持ち上げたまま……。
 ……すべてが超自然の巨大な馬力と、物理原則が生む確信とを百パーセントに身構えて、私の命令一下を待つべく、飽くまでも静まりかえっている。
 ……シイ――イイ……という音がどこからともなく聞こえるのは、セーフチーバルブの唇を洩るスチームの音であろう……それとも私の耳の底の鳴る音か……。
 私の背筋を或る力が伝わった。右手が自ら高く揚った。
 職工長がうなずいて去った。

 ……極めて徐々に……徐々に……工場内に重なり合った一切の機械が眼醒めはじめる。
 工場の隅から隅まで、スチームが行き渡り初めたのだ。
 そうして次第次第に早く……遂には眼にも止まらぬ鉄の眩覚が私の周囲から一時に渦巻き起る。……人間……狂人……超人……野獣……猛獣……怪獣……巨獣……それらの一切の力を物ともせぬ鉄の怒号……如何なる偉大なる精神をも一瞬の中に恐怖と死の錯覚の中に誘い込まねば措かぬ真黒な、残忍冷酷な呻吟が、到る処に転がりまわる…

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