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少女地獄
しょうじょじごく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「少女地獄」 角川文庫、角川書店
1976(昭和51)年11月30日
初出「少女地獄」黒白書房、1936(昭和11)年3月
入力者ryoko masuda
校正者もりみつじゅんじ
公開 / 更新2000-01-12 / 2014-09-17
長さの目安約 214 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

何んでも無い


  白鷹秀麿兄 足下

臼杵利平

 小生は先般、丸の内倶楽部の庚戌会で、短時間拝眉の栄を得ましたもので、貴兄と御同様に九州帝国大学、耳鼻科出身の後輩であります。昨、昭和八年の六月初旬から、当横浜市の宮崎町に、臼杵耳鼻科のネオンサインを掲げておる者でありますが、突然にかような奇怪な手紙を差し上げる非礼をお許し下さい。
 姫草ユリ子が自殺したのです。
 あの名前の通りに可憐な、清浄無垢な姿をした彼女は、貴下と小生の名を呪咀いながら自殺したのです。あの鳩のような小さな胸に浮かみ現われた根も葉もない妄想によって、貴下と小生の家庭は申すに及ばず、満都の新聞紙、警視庁、神奈川県の司法当局までも、その虚構の天国を構成する材料に織込んで来たつもりで、却って一種の戦慄すべき脅迫観念の地獄絵巻を描き現わして来ました彼女は、遂に彼女自身を、その自分の創作した地獄絵巻のドン底に葬り去らなければならなくなったのです。その地獄絵巻の実在を、自分の死によって裏書きして、小生等を仏教の所謂、永劫の戦慄、恐怖の無間地獄に突き落すべく……。
 その一見、平々凡々な、何んでもない出来事の連続のように見える彼女の虚構の裡面に脈動している摩訶不思議な少女の心理作用の恐しさ。その心理作用に対する彼女の執着さを、小生は貴下に対して逐一説明し、解剖し、分析して行かねばならぬという異常な責任を持っておる者であります。
 しかもその困難を極めた、一種異様な責任は本日の午後に、思いもかけぬ未知の人物から、私の双肩に投げかけられたものであります。……ですからこの一種特別の報告書も、順序としてその不可思議な未知の人物の事から書き始めさして頂きます。

 本日の午後一時頃の事でした。
 重態の脳膜炎患者の手術に疲れ切った私は、外来患者の途絶えた診察室の長椅子に横たわって、硝子窓越に見える横浜港内の汽笛と、窓の下の往来の雑音をゴッチャに聞きながらウトウトしておりますと、突然に玄関のベルが鳴って、一人の黒い男性の影が静かに辷り込んで来ました。
 跳ね起きてみますと、それはさながらに外国の映画に出て来る名探偵じみた風采の男でした。年の頃は四十四、五でしたろうか。顔が長く、眉が濃く太く、高い、品のいい鼻梁の左右に、切れ目の長い眼が落ち窪んで鋭い、黒い光を放っているところは、とりあえず和製のシャアロック・ホルムズと言った感じでした。全体の皮膚の色が私と同様に青黒く、スラリとした骨太い身体に、シックリした折目正しい黒地のモーニング、真新しい黒のベロア帽、同じく黒のエナメル靴、銀頭の蛇木杖という微塵も隙のない態度風采で、診察室の扉を後ろ手に静かに閉めますと、私一人しかいない室内をジロリと一眼見まわしながら立ち佇って、慇懃に帽子を脱って、中禿を巧みに隠した頭を下げました。
 軽率な私は、この人物を新来の患者と思い…

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