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半七捕物帳
はんしちとりものちょう
作品ID970
副題10 広重と河獺
10 ひろしげとかわうそ
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「時代推理小説 半七捕物帳(一)」 光文社時代小説文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日
入力者tatsuki
校正者菅野朋子
公開 / 更新1999-06-21 / 2014-09-17
長さの目安約 37 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 むかしの正本風に書くと、本舞台一面の平ぶたい、正面に朱塗りの仁王門、門のなかに観音境内の遠見、よきところに銀杏の立木、すべて浅草公園仲見世の体よろしく、六区の観世物の鳴物にて幕あく。――と、上手より一人の老人、惣菜の岡田からでも出て来たらしい様子、下手よりも一人の青年出で来たり、門のまえにて双方生き逢い、たがいに挨拶すること宜しくある。
「やあ、これは……。お花見ですかい」
「別になんということもないので……、天気がいいから唯ぶらぶら出て来たんです」
「そうですか。わたくしは橋場までお寺まいりに……。毎月一遍ずつは顔を見せに行ってやらないと、土の下で婆さんが寂しがります。これでも生きているうちは随分仲がよかったんですからね。はははははは。ところで、あんたはお午飯は」
「もう済みました」
「それじゃあどうです。別に御用がなければ、これから向島の方角へぶらぶら出かけちゃあ……。わたくしは腹こなしにちっと歩こうかと思っているところなんですが……」
「結構です。お供しましょう」
 ずるそうな青年は、ああ手帳を持って来ればよかったという思入れ、すぐに老人のあとに付いてゆく。同じ鳴物にて道具まわる。――と、向島土手の場。正面は隅田川を隔てて向う河岸をみたる遠見、岸には葉桜の立木。かすめて浪の音、はやり唄にて道具止まる。――と、下手より以前の老人と青年出で来たり、いつの間にか花が散ってしまったのに少しく驚くことよろしく、その代りに混雑しないで好いなどの台詞あり、二人はぶらぶらと上手へゆきかかる――。
 ここまで本読みをすれば、誰でも登場人物を想像するであろう。老人は例の半七老人で、青年はわたしである。老人はわたしの問うにしたがって浅草あたりの昔話を聞かせてくれた。聖天様や袖摺稲荷の話も出た。それからだんだんに花が咲いて、老人はとうとう私に釣り出された。
「いや、まったく昔はいろいろ不思議なことがありましたよ。その袖摺いなりで思い出しましたが……。まあ、あるきながら話しましょう」

 これは安政五年の正月十七日の出来事である。浅草田町の袖摺稲荷のそばにある黒沼孫八という旗本屋敷の大屋根のうえに、当年三、四歳ぐらいの女の子の死骸がうつ伏せに横たわっていたが、屋根のうえであるから屋敷の者もすぐには発見しなかった。かえって隣り屋敷の者に早く見つけられて、黒沼家でも初めてそれを知って騒ぎ出したのは朝の五ツ(午前八時)を過ぎた頃であった。足軽と中間が長梯子をかけて、朝霜のまだ薄白く消え残っている大屋根にのぼって見ると、それはたしかに幼い女の児で、服装も見苦しくない。容貌も醜くない。ともかく担ぎおろして身のまわりをあらためたが、彼女は腰巾着を着けていなかった。迷子札も下げていなかった。したがって、何処の何者だかを探り出す手がかりも無いので、皆もしばらく顔を身合わせていた。
 彼…

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