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半七捕物帳
はんしちとりものちょう
作品ID989
副題61 吉良の脇指
61 きらのわきざし
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「時代推理小説 半七捕物帳(五)」 光文社時代小説文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日
入力者tatsuki
校正者大野晋
公開 / 更新1999-04-27 / 2014-09-17
長さの目安約 46 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 極月の十三日――極月などという言葉はこのごろ流行らないが、この話は極月十三日と大時代に云った方が何だか釣り合いがいいようである。その十三日の午後四時頃に、赤坂の半七老人宅を訪問すると、わたしよりもひと足先に立って、蕎麦屋の出前持ちがもりそばの膳をかついで行く。それが老人宅の裏口へはいったので、悪いところへ来たと私はすこし躊躇した。
 今の私ならば、そこらをひと廻りして、いい加減の時刻を見測らって行くのであるが、年の若い者はやはり無遠慮である。一旦は躊躇したものの、思い切って格子をあけると、おなじみの老婢が出て来て、すぐに奥へ通された。
「やあ、いいところへお出でなすった」と、老人は笑いながら云った。「まあ、蕎麦をたべて下さい。なに、婆やの分は追い足しをさせます。まあ、御祝儀に一杯」
「なんの御祝儀ですか」
「煤掃きですよ」
 大掃除などの無い時代であるから、歳の暮れの煤掃きは何処でも思い思いであったが、半七老人は極月十三日と決めていると云った。
「わたくしなぞは昔者ですから、新暦になっても煤掃きは十三日、それが江戸以来の習わしでしてね」
「江戸時代の煤掃きは十三日と決まっていたんですか」
「まあ、そうでしたね。たまには例外もありましたが、大抵の家では十三日に煤掃きをする事になっていました。それと云うのが、江戸城の煤掃きは十二月十三日、それに習って江戸の者は其の日に煤掃きをする。したがって、十二日、十三日には、煤掃き用の笹竹を売りに来る。赤穂義士の芝居や講談でおなじみの大高源吾の笹売りが即ちそれです。そのほかに荒神さまの絵馬を売りに来ました。それは台所の煤を払って、旧い絵馬を新らしい絵馬にかえるのです。笹売りと絵馬売り、どっちも節季らしい気分を誘い出すものでしたが、明治以来すっかり絶えてしまいました。どうも文明開化にはかないませんよ。はははははは。そんなわけですから、わたくしのような旧弊人はやはり昔の例を追って、十三日には煤掃きをして家内じゅう、と云ったところで婆やと二人ぎりですが、めでたく蕎麦を祝うことにしています。いや、年寄りの話はとかく長くなっていけません。さあ、伸びないうちに喰べてください」
「では、お祝い申します」
 わたしは蕎麦の御馳走になった。夏は井戸換え、冬は煤掃き、このくらい心持のいいことはないと、老人はひどく愉快そうであった。きょうは雪もよいの、なんだか忌に底びえのする日であったが、老人はさのみに恐れないような顔をしていた。やはり昔の人は強いと、私は思った。
 そばを喰ってしまって、茶を飲んで、それから例のむかし話に移ったが、かの大高源吾の笹売りから縁を引いて、頃は元禄十五年極月の十四日、即ち江戸の煤掃きの翌晩に、大石の一党が本所松坂町の吉良の屋敷へ討ち入りの話になった。老人お得意の芝居がかりで、定めて忠臣蔵のお講釈でも出…

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