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むじな
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「芥川龍之介全集1」 ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年9月24日
初出「読売新聞」1917(大正6)年3月
入力者j.utiyama
校正者もりみつじゅんじ
公開 / 更新1998-11-07 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 書紀によると、日本では、推古天皇の三十五年春二月、陸奥で始めて、貉が人に化けた。尤もこれは、一本によると、化レ人でなくて、比レ人とあるが、両方ともその後に歌之と書いてあるから、人に化けたにしろ、人に比ったにしろ、人並に唄を歌った事だけは事実らしい。
 それより以前にも、垂仁紀を見ると、八十七年、丹波の国の甕襲と云う人の犬が、貉を噛み食したら、腹の中に八尺瓊曲玉があったと書いてある。この曲玉は馬琴が、八犬伝の中で、八百比丘尼妙椿を出すのに借用した。が、垂仁朝の貉は、ただ肚裡に明珠を蔵しただけで、後世の貉の如く変化自在を極めた訳ではない。すると、貉の化けたのは、やはり推古天皇の三十五年春二月が始めなのであろう。
 勿論貉は、神武東征の昔から、日本の山野に棲んでいた。そうして、それが、紀元千二百八十八年になって、始めて人を化かすようになった。――こう云うと、一見甚だ唐突の観があるように思われるかも知れない。が、それは恐らく、こんな事から始まったのであろう。――
 その頃、陸奥の汐汲みの娘が、同じ村の汐焼きの男と恋をした。が、女には母親が一人ついている。その目を忍んで、夜な夜な逢おうと云うのだから、二人とも一通りな心づかいではない。
 男は毎晩、磯山を越えて、娘の家の近くまで通って来る。すると娘も、刻限を見計らって、そっと家をぬけ出して来る。が、娘の方は、母親の手前をかねるので、ややもすると、遅れやすい。ある時は、月の落ちかかる頃になって、やっと来た。ある時は、遠近の一番鶏が啼く頃になっても、まだ来ない。
 そんな事が、何度か続いたある夜の事である。男は、屏風のような岩のかげに蹲りながら、待っている間のさびしさをまぎらせるつもりで、高らかに唄を歌った。沸き返る浪の音に消されるなと、いらだたしい思いを塩からい喉にあつめて、一生懸命に歌ったのである。
 それを聞いた母親は、傍にねている娘に、あの声は何じゃと云った。始めは寝たふりをしていた娘も、二度三度と問いかけられると、答えない訳には行かない。人の声ではないそうな。――狼狽した余り、娘はこう誤魔化した。
 そこで、人でのうて何が歌うと、母親が問いかえした。それに、貉かも知れぬと答えたのは、全く娘の機転である。――恋は昔から、何度となく女にこう云う機転を教えた。
 夜が明けると、母親は、この唄の声を聞いた話を近くにいた蓆織りの媼に話した。媼もまたこの唄の声を耳にした一人である。貉が唄を歌いますかの――こう云いながらも、媼はまたこれを、蘆刈りの男に話した。
 話が伝わり伝わって、その村へ来ていた、乞食坊主の耳へはいった時、坊主は、貉の唄を歌う理由を、仔細らしく説明した。――仏説に転生輪廻と云う事がある。だから貉の魂も、もとは人間の魂だったかも知れない。もしそうだとすれば、人間のする事は、貉もする。月夜に歌を唄うくらいな事…

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