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動かぬ鯨群
うごかぬげいぐん
作品ID1270
著者大阪 圭吉
文字遣い新字新仮名
底本 「とむらい機関車」 国書刊行会
1992(平成4)年5月25日初版第1刷
初出「新青年」博文館、1936(昭和11)年10月号
入力者大野晋
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-11-23 / 2014-09-21
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

          一

「どかんと一発撃てば、それでもう、三十円丸儲けさ」
 いつでも酔って来るとその女は、そう云ってマドロス達を相手に、死んだ夫の話をはじめる。捕鯨船北海丸の砲手で、小森安吉と云うのが、その夫の名前だった。成る程女の云うように、生きている頃は、一発銛を撃ち込む度に、余分な賞与にありついていた。が、一年程前に時化に会って、北海丸の沈没と共に行衛が知れなくなると、女は、僅かばかりの残された金を、直ぐに使い果して、港の酒場で働くようになっていた。砲手は、捕鯨船では高級な船員だった。だから雑夫達と違って、ささやかながらも一家を支えて行くことが出来た。夫婦の間には、子供が一人あった。女は愚痴話をしながら、家に残して来たその子供のことを思い浮べると、酔も醒めたように、ふと押黙って溜息をつく。
 最初のうちは、夢のように信じられなかった夫の死も、半歳一年と日がたつにつれ、追々ハッキリした意識となって、いまはもう、子供のためにこうして働きながら、酔ったまぎれに法螺とも愚痴ともつかぬ昔話をするのが、せめてもの楽みになっているのだった。
 北海丸と云うのは、二百噸足らずのノルウェー式捕鯨船で、小さな合名組織の岩倉捕鯨会社に属していた。船舶局の原簿によると、北海丸の沈没は十月七日とあった。その日は北太平洋一帯に、季節にはいって始めての時化の襲った悪日だった。親潮に乗って北へ帰る鯨群を追廻していた北海丸は、日本海溝の北端に近く、水が妙な灰色を見せている辺で時化の中へ捲き込まれてしまった。
 最初に救難信号を受信つけたのは、北海丸から二十浬と離れない地点で、同じように捕鯨に従事していた同じ岩倉会社の、北海丸とは姉妹船の釧路丸だった。釧路丸以外にも、附近を航行していた汽船の中には、その信号を聞きつけた貨物船が二艘あった。しかし、海霧に包まれた遭難箇所は、水深も大きく、潮流も激しく、荒れ果てていて到底近寄ることは出来なかった。
 小船の北海丸は、浸水が早く沈没は急激だった。海難救助協会の救難船が、現場に馳せつけた頃には、もう北海丸の船影はなく、炭塵や油の夥しく漂った海面には、最初にかけつけた釧路丸が、激浪に揉まれながら為す術もなく彷徨っているばかりだった。
 S・O・Sによれば、遭難の原因は衝突でもなければ、むろん坐礁、接触なぞでもなかった。ただ無暗と浸水が烈しく、急激な傾斜が続いて、そのまま沈没してしまった。しかし、まだ老朽船と云うほどでもない北海丸が、秋口の時化とは云え、何故そんなに激しい浸水に見舞われたのか、それは当の沈没船から発せられた信号によってさえも、聞きとることは出来なかった。捜査は、救難船と釧路丸の手によって続けられた。けれども時化があがって数日たっても、北海丸は発見されなかった。
 それから、もう一年の月日が流れている。
 根室の港には、やがてまた押…

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