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故郷を想う
こきょうをおもう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「光の中に 金史良作品集」 講談社文芸文庫、講談社
1999(平成11)年4月10日
初出「知性」1941(昭和16)年5月号
入力者大野晋
校正者大野裕
公開 / 更新2001-01-01 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 内地へ来て以来かれこれ十年近くなるけれど、殆んど毎年二三度は帰っている。高校から大学へと続く学生生活の時分は、休暇の始まる最初の日の中に大抵蒼惶として帰って行った。われながらおかしいと思う程、試験を終えると飛んで宿に帰り、急いで荷物を整えてはあたふたと駅へ向った。それも間に合う一番早い時間の汽車で帰ろうとするのである。
 故郷はそれ程までにいいものだろうかと、時々不思議になることがある。成程郷里の平壌には愛する老母が殆んど独りきりで侘住居している。母はむろん、方々へ嫁いだ心美しい姉達や妹達、それから親族の人々も私の帰りを非常に悦んでくれる。庭は広くないが百坪程の前庭と裏庭がある。それが又老母の心遣いから、帰る度に新しい粧をして私を驚きの中に迎えるのだ。昨年の夏帰った時には、庭一杯に色とりどりの花が咲き乱れ、塀のぐるりには母の植えたという林檎の苗木や山葡萄の蔓がひとしお可憐だった。それに玄関際の壁という壁にはこれから背伸びしようとするつたが這い廻っていた。秋に入りかけ花盛りが過ぎ出した頃、コスモスをもう少し咲かせればよかったのに、それが気付かなかったのだと、母や妹は済まなそうに云っていた。私がそれ程の花好きというのでもないのに。母ももう年を取ったものだと思う。そして帰る度毎に、気力や精神が衰えているように思われて悲しい。六十をこえると老い方も一層早いのだろうか。
 殊に昨年はコスモスの咲き出す頃、すぐ上の姉特実が亡くなった。三十という若い身空で、子供を三人も残してはどうしても死にきれないと云いながら、基督教聯合病院の静かな部屋で息を引取った。その死は今思うだに悲痛なものに感じられてならない。それを書くには今尚私の心の痛みがたえられそうもない気がする。彼女は私のはらからの中では一等器量がよくて、心も細やかであり明朗でもあった。父が母と違って絶壁のように保守的で頑固なために、幾度母に責め諫められながらもついにあの姉を小学校にさえ出さなかった。女に新教育は許せないというのである。いくら泣き喚いても、それは無駄であった。でも彼女は無智の中にあきらめていようとはしないで、七八の頃から千字文で一通り漢字を習い、朝鮮仮名はもう既に自在に読み書きが出来、小学校へ上ったばかりの私を先生としてそれ以来ずっと諸学科の知識をかじり、それから雑誌を取り寄せ新聞を読むなどして、その識見や思慮は私が中学にはいった頃はもう尊敬すべき程だった。
 こういうところからして、私と彼女の間に於る姉弟の情にも又特別なものがあったと云える。私が帰る頃を聞き知って真先に母の許へやって来て待ってくれたのもこの姉だった。そして私が林檎好きだと彼女は勝手にきめて、いつも国光に紅玉など水々しくて色のよい甘そうなのを一抱えずつ買って来てくれた。彼女の死が老母に与えた精神的な打撃というものは余りにひどい。正にその次…

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