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山県有朋の靴
やまがたありとものくつ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「小笠原壱岐守」 講談社大衆文学館文庫、講談社
1997(平成9)年2月20日
初出「講談倶楽部 十二月号」1933(昭和8)年
入力者大野晋
校正者noriko saito
公開 / 更新2004-11-17 / 2014-09-18
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

         一

「平七。――これよ、平七平七」
「…………」
「耳が遠いな。平七はどこじゃ。平はおらんか!」
「へえへえ。平はこっちにおりますんで、只今、お靴を磨いておりますんで」
「庭へ廻れ」
「へえへえ。近ごろまた東京に、めっきり美人がふえましたそうで、弱ったことになりましたな」
「またそういうことを言う。貴様、少うし腰も低くなって、気位もだんだんと折れて来たと思ったらじきに今のような荊を出すな。いくら荊を出したとて、もう貴様等ごとき痩せ旗本の天下は廻って来んぞ」
「左様でございましょうか……」
「左様でございましょうかとは何じゃ。そういう言い方をするから、貴様、いつも叱られてばかりいるのじゃ。おまえ、郵便報知というを知っておろうな」
「新聞社でございますか」
「そうじゃ。あいつ、近ごろまた怪しからん。貴様、今から行ってネジ込んで参れ」
「なにをネジ込むんでございますか」
「わしのことを、このごろまた狂介々々と呼びずてにして、不埒な新聞じゃ。山県有朋という立派な名前があるのに、なにもわざわざ昔の名前をほじくり出して、なんのかのと、冷やかしがましいことを書き立てんでもよいだろう。新聞が先に立って、狂介々々と呼びずてにするから、市中のものまでが、やれ狂介権助丸儲けじゃ、萩のお萩が何じゃ、かじゃと、つまらんことを言い囃すようになるんじゃ。怪しからん。今からすぐにいって、しかと談じ込んで参れ」
「どういう風に、談じ込むんでございますか。控えろ、町人、首が飛ぶぞ、とでも叱って来るんでございますか」
「にぶい奴じゃな。山県有朋から使いが立った、と分れば、わしが現在どういう職におるか、陸軍、兵部大輔という職が、どんなに恐ろしいものか、おまえなんぞなにも申さずとも、奴等には利き目がある筈じゃ。すぐに行け」
「へえへえ。ではまいりますが、この通りもう夕ぐれ近い時刻でございますから、かえりは少々おそくなるかも存じませんが、今夜もやはり、こちらでございますか。それとも御本邸の方へおかえりでございますか」
「そんなつまらんことも聞かんでいい。おそくかえって、わしの姿がここに見えなかったならば、本邸へかえったと思うたらよかろう。思うたらおまえもあちらへかえったらよかろう。早く出かけい」
「…………」
 風に吹かれている男のように、平七は、ふらふらと、三めぐりの土手の方へあがっていった。
 とうにもう秋は来ている筈なのに、空はどんよりと重く汚れて曇って、秋らしい気の澄みもみえなかった。
 もしそれらしいものが感じられるとすれば、土手の青草の感じの中に、ひやりとしたものが少し感じられるくらいのものだった。
 そういう秋の情景のない秋の風景は、却って何倍か物さびしかった。
 平七は、ぼんやりとした顔つきで、ふらふらと土手を下へ下って行くと、吾妻橋の方へ曲っていった。
 僅かに感…

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