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思案の敗北
しあんのはいぼく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「太宰治全集10」 ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年6月27日
初出「文芸 第五巻第十二号」1937(昭和12)年12月1日
入力者土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2005-04-24 / 2016-07-12
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 ほんとうのことは、あの世で言え、という言葉がある。まことの愛の実証は、この世の、人と人との仲に於いては、ついに、それと指定できないものなのかもしれない。人は、人を愛することなど、とても、できない相談ではないのか。神のみ、よく愛し得る。まことか?
 みなよくわかる。君の、わびしさ、みなよくわかる。これも、私の傲慢の故であろうか。何も言えない。

 中谷孝雄氏の「春の絵巻」出版記念宴会の席上で、井伏氏が低い声で祝辞を述べる。「質実な作家が、質実な作家として認められることは、これは、大変なことで、」語尾が震えていた。

 たまに、すこし書くのであるから、充分、考えて考えて書かなければなるまい。ナンセンス。

 カントは、私に考えることのナンセンスを教えて呉れた。謂わば、純粋ナンセンスを。
 いま、ふと、ダンデスムという言葉を思い出し、そうしてこの言葉の語根は、ダンテというのではなかろうか、と多少のときめきを以て、机上の辞書を調べたが、私の貧しい英和中辞典は、なんにも教えて呉れなかった。ああ、ダンテのつよさを持ちたいものだ。否、持たなければならない。君も、私も。
 ダンテは、地獄の様々の谷に在る数しれぬ亡者たちを、ただ、見て、とおった。

 人は、人を救うことができない。まことか?

 何を書こうか。こんな言葉は、どうだ。「愛は、この世に存在する。きっと、在る。見つからぬのは、愛の表現である。その作法である。」

 泣き泣きX光線は申しました。「私には、あなたの胃袋や骨組だけが見えて、あなたの白い膚が見えません。私は悲しいめくらです。」なぞと、これは、読者へのサーヴィス。作家たるもの、なかなか多忙である。

 ルソオの懺悔録のいやらしさは、その懺悔録の相手の、(誰か、まえに書いたかな?)神ではなくて、隣人である、というところに在る。世間が相手である。オーガスチンのそれと思い合わせるならば、ルソオの汚さは、一層明瞭である。けれども、人間の行い得る最高至純の懺悔の形式は、かのゲッセマネの園に於ける神の子の無言の拝跪の姿である、とするならば、オーガスチンの懺悔録もまた、俗臭ふんぷんということになるであろう。みな、だめである。ここに言葉の運命がある。
 安心するがいい。ルソオも、オーガスチンも、ともに、やさしい人である。人として、能うかぎり、ぎりぎりの仕事を為した。

 私は、いま、ごまかそうとしている。なぜ、ルソオの懺悔録が、オーガスチンのそれより世人に広く読まれているか、また読まれて当然であるか。
 答えて曰く、言うだけ野暮さ。ほんとうだよ、君。

 宿題ひとつ。「私小説と、懺悔。」

 こう書きながら、私は、おかしくてならない。八百屋の小僧が、いま若旦那から聞いて来たばかりの、うろ覚えの新知識を、お得意さきのお鍋どんに、鹿爪らしく腕組して、こんこんと説き聞かせている…

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