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俳諧瑣談
はいかいさだん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻25 俳句」 作品社
1993(平成5)年3月25日
入力者門田裕志
校正者浅原庸子
公開 / 更新2006-03-11 / 2014-09-18
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一

 ドイツの若い物理学者のLというのがせんだって日本へ遊びに来ていた。数年前にも一度来たことがあるのでだいぶ日本通になっている。浮世絵などもぽつぽつ買い込んで行ったようである。このドイツ人がある日俳句を作ったと言って友だちの日本人に自慢をした。それは
鎌倉に鶴がたくさんおりました
というのである。なるほどちゃんと五、七、五の音数律には適合している。いわれを聞いてみると、「昔頼朝時代などには鎌倉へんに鶴がたくさんにいて、それに関連した史実などもあったが今日ではもう鶴などは一羽も見られなくなって、世の中が変わってしまった」という感慨を十七字にしたのだそうである。それを私に伝えた日本の理学者は世にも滑稽なる一笑話として、それを伝えたのである。
 なるほどおかしいことはおかしいが、しかし、この話は「俳句とは何か」という根本的な問題を考える場合に一つの参考資料として役立つものであろうと思われる。すなわち、これが俳句になっていないとすれば、何ゆえにそれが俳句になっていないかという質問に対するわれわれの説明が要求されるのである。この説明はそうそう簡単にはできないであろう。
 以上の笑話はまた一方で大多数の外国人がわが俳句というものをどういうふうに、どの程度に理解しているかということを研究する場合に一つの資料となるものであろうと思われる。

     二

 近刊の雑誌「東炎」に志田素楓氏が、芭蕉の古池の句の外国語訳を多数に収集紹介している。これははなはだ興味の深いコレクションである。そのうちで日本人の訳者五名の名前を見るといずれも英語にはすこぶる熟達した人らしく思われるが、しかし自身で俳諧の道に深い体験をもっているのかどうか不明な人たちばかりのようである。残りの十人の外国人ももちろん自身に俳句らしい俳句を作ったことのない人たちばかりであるに相違ない。
 俳句を充分に理解しうるためには、その人は立派な俳句の作り得られる人でなければならないと思われる。はたしてそうだとすれば、これらの十五種の「古池や」の翻訳のうちで、もし傑作があったら、それは単なる偶然に過ぎないであろう。
 一流の俳人で同時に一流の外国語学者でない限り、俳句の翻訳には手を下さないほうが安全であろう。
(昭和八年十一月、渋柿)

     三

 故坂本四方太氏とは夏目先生の千駄木町の家で時々同席したことがあり、また当時の「文章会」でも始終顔を合わせてはいたが、一度もその寓居をたずねたことはなかった。それにもかかわらず自分は同氏の住み家やその居室を少なくとも一度は見たことがあるような錯覚を年来もちつづけて来た。そうしてそれがだんだんに固定し現実化してしまって今ではもう一つの体験の記憶とほとんど同格になってしまっている。どうしてそんなことになったかと考えてみるが、どうもよくはわからない。
 夏目先生…

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