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槍が岳に登った記
やりがたけにのぼったき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「羅生門・鼻・芋粥」 角川文庫、角川書店
1950(昭和25)年10月20日
初出「芥川龍之介全集 別冊」岩波書店、1929(昭和4)年2月
入力者j.utiyama
校正者かとうかおり
公開 / 更新1999-01-11 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     赤沢

 雑木の暗い林を出ると案内者がここが赤沢ですと言った。暑さと疲れとで目のくらみかかった自分は今まで下ばかり見て歩いていた。じめじめした苔の間に鷺草のような小さな紫の花がさいていたのは知っている。熊笹の折りかさなった中に兎の糞の白くころがっていたのは知っている。けれどもいったい林の中を通ってるんだか、やぶの中をくぐっているんだかはさっぱり見当がつかなかった。ただむやみに、岩だらけの路を登って来たのを知っているばかりである。それが「ここが赤沢です」と言う声を聞くと同時にやれやれ助かったという気になった。そうして首を上げて、今まで自分たちの通っていたのが、しげった雑木の林だったということを意識した。安心すると急に四方のながめが眼にはいるようになる。目の前には高い山がそびえている。高い山といっても平凡な、高い山ではない。山膚は白っちゃけた灰色である。その灰色に縦横の皺があって、くぼんだ所は鼠色の影をひいている。つき出た所ははげしい真夏の日の光で雪がのこっているのかと思われるほど白く輝いて見える。山の八分がこのあらい灰色の岩であとは黒ずんだ緑でまだらにつつまれている。その緑が縦にMの字の形をしてとぎれとぎれに山膚を縫ったのが、なんとなく荒涼とした思いを起させる。こんな山が屏風をめぐらしたようにつづいた上には浅黄繻子のように光った青空がある。青空には熱と光との暗影をもった、溶けそうな白い雲が銅をみがいたように輝いて、紫がかった鉛色の陰を、山のすぐれて高い頂にはわせている。山に囲まれた細長い渓谷は石で一面に埋められているといってもいい。大きなのやら小さなのやら、みかげ石のまばゆいばかりに日に反射したのやら、赤みを帯びたインク壺のような形のやら、直八面体の角ばったのやら、ゆがんだ球のようなまるいのやら、立体の数をつくしたような石が、雑然と狭い渓谷の急な斜面に充たされている。石の洪水。少しおかしいが全く石の洪水という語がゆるされるのならまさしくそれだ。上の方を見上げると一草の緑も、一花の紅もつけない石の連続がずーうっと先の先の方までつづいている。いちばん遠い石は蟹の甲羅くらいな大きさに見える。それが近くなるに従ってだんだんに大きくなって、自分たちの足もとへ来ては、一間に高さが五尺ほどの鼠色の四角な石になっている。荒廃と寂寞――どうしても元始的な、人をひざまずかせなければやまないような強い力がこの両側の山と、その間にはさまれた谷との上に動いているような気がする。案内者が「赤沢の小屋ってなアあれですあ」と言う。自分たちの立っている所より少し低い所にくくりまくらのような石がある。それがまたきわめて大きい。動物園の象の足と鼻を切って、胴だけを三つ四つつみ重ねたらあのくらいになるかもしれない。その石がぬっと半ば起きかかった下に焚火をした跡がある。黒い燃えさしや、白い石…

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