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嫉みの話
ねたみのはなし
作品ID18399
著者折口 信夫
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻77 嫉妬」 作品社
1997(平成9)年7月25日
入力者門田裕志
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-01-08 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 憎しみは人間の根本的な感情とされているが、時代の推移とともに変わってきている。
 次に、嫉妬について少し考えてみる。嫉妬も人間の根本的な感情で、わずかな時間では変わりもせぬし、地方や民族の間で変わりはせぬはずであるが、実は、日本人だけでは、すくなくとも変わってきているのである。これまでは、あまり心意現象にばかり拘泥していたから、習慣のほうへもっていって話そうと思う。
 われわれが、嫉妬というものが男の間にもあると考えたのはごく近代のことで、女だけがもっているものと長く考えてきている。それが男にも延長されて、誰も不思議に思うておらぬ。しかしこれは、「へんねし」などの方言で表わされる。いこじな、片意地な、意地の悪い感情で、そこへ羨む心持がはいる。これは羨望、意地悪、頑固などの心持をもっている。へんねし、へんねちと表わされ、ねたみという語では表現されていなかったであろう。語は型だから、語によってその一つの内容へわれわれははいってゆくので、それを男のうえにも感じるのである。語というものの支配権は、たいしたものである。女のねたみについては、この間、柳田先生の話を引いたように、われわれ男女の間へ、他物を介在させまいとする感情である、ということは動くまい、と言うておいた。
「うはなりねたみ」は、普通のねたみではない。昔の族人生活は、家単位のようであって、いくつもの家族に別れていることがあるので、妻が外に住んでいることもかなりある。うわなりとは、この族人生活の間において、後からできてきた妻のことで、後妻と書き、前からの妻は先妻と書いて、こなみと言うている。他に書きようがないので、そういう字を当てたのである。この語は大昔から使うていて、うわなりねたみというのは、第二夫人を夫のそばに近づけまい、近づけるのを嫌う心と説明しているが、うわなりねたみは、近代になって非常に抑圧せられた。ねたみは、女のもつ不道徳だと考えられ、教化(道徳と政治との結びつき)のほう、宗教のほうから、これを排斥している。だから、だんだんと家族の中の私事になってゆき、外へもって出ぬことになって、「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」などと言うて、他人はこの間に介入すべきでないと考え、相手にしなかった。
 しかし、昔はしばしば他人が間にはいって、「うはなりうち」ということが行なわれた。自分の夫に新しい愛人ができたとき、その家へ、元からの妻が自分の身内をかたろうて攻めかけて行き、家へ乱入し、その家の道具をめちゃめちゃにしてくる。これは、別に相手を傷つけるためではない。何のためにするのかというと、根本は、自分らの面目を立てるためで、それをせぬと顔が立たぬのである。つまり、一つの形式化した低い道徳で、道徳に足をかけかけた、もう少しで道徳になるものと言うべきであろう。
 自分の女房を犯した男があったとき、その男を殺すことを「めがたき…

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