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ズラかった信吉
ズラかったしんきち
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年9月20日
初出「改造」1931(昭和6)年7~9月号
入力者柴田卓治
校正者松永正敏
公開 / 更新2002-05-07 / 2014-09-17
長さの目安約 113 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

    ([#挿絵])[#「(I)」は縦中横]

        一

 東海道本線を三等寝台車が走るようになった。だがあれは、三段にもなっていて、狭く、窮屈で養鶏所の人工孵卵器みたいだ。
 シベリア鉄道の三等は二段だ。広軌だから、通路をへだてたもう一方にも窓に沿って一人分の座席があって、全体たっぷりしてる。
 信吉は、そういう三等列車の上の段で腹んばいになり、腕に顎をのっけて下の方を眺めていた。下では三人の労働者風なロシア人が、カルタをやっているところだ。肩のところにひどいカギ裂きの出来た海老茶色のルバーシカを着たの。鳥打帽をぞんざいに頭の後ろに引っかけたの。剛そうな灰色の髪の小鬢へどういうわけか一束若白髪を生やしたの。三人ともまるで仕事みたいに気を入れてやってる。海老茶色ルバーシカの男は、真面目くさった顔つきで、ときどき横っ腹を着ているものごと痒きながら、札をひろったり、捨てたりしている。
 信吉は、丸まっちい鼻へ薄すり膏汗をにじませたまま、暫く勝負を見ていたが、
「あーァ」
 起きあがって、伸びをした。
「そろそろ飯か……」
 この三人は、きまって飯時分になるとカルタをやる。そして、互に負けを出し合い、停車場へ着くと物を買いこんで来て飯にするんだ。
 ところでここは、モスクワ行三等列車の棚の中だ。どっちを向いて何と云ったところが、信吉の独言をわかってくれるような者はありっこない。
 信吉はズボンのポケットから蟇口を出した。蟇口は打紐でバンドにくくりつけてある。下唇を突き出し、鼻の穴をふくらがして銭を算えた。モスクワまで、まだあと五日か、チェッ!
 一枚の紙を、信吉は胡坐をかいている膝の上へのばした。果しないシベリアを夜昼鋼鉄の長い列車は西へ! 西へ! 砂塵を巻いて突っ走る。信吉は棚の上で日に一度はきっとこの紙を出しかけた。所在なかったり、寂しくなったりすると読む。
 手紙だ。甥の卯太郎がよこした手紙だ。
「信あんちゃ。おかわりありませんか。うちではみんな丈夫ですから安心して下さい。けんど、村は不景気だヨ。山上ん田でも、佐田んげでも小作争ギおこった。源さや忠さや、碌さは警察さあげられて、まだ帰ってきねえ。村で新聞とっているのは田村さんげと(これは東吉の村で村長をやってる男だ)忠さげだけんなったど、忠さんは警察さあげられたから、新聞ことわるようにすっぺと婆さまが云っていた。碌さの家へ電気会社の人が来て線を切って行ったから夜はローソクをつけています。
 新井の伯母が裏の川さはまって死んだよ。ゴム工場があんまり熱くて目がくさって、うっかと川さ落ちて死んだそうです。東京新聞さそのことが出ていたそうです。おっちゃんが今朝土間で新井の伯母が川さはまって死んだそうだ。せえってたら玉子集めの六婆さがへって来て、んでも東京新聞さ出たちゅうでねえけ。東京新聞さ書かれたら伯母…

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