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三十三の死
さんじゅうさんのし
作品ID2
著者素木 しづ
文字遣い旧字旧仮名
底本 「現代日本文學全集 85 大正小説集」 筑摩書房
1957(昭和32)年12月20日
入力者小林徹
校正者野口英司
公開 / 更新1998-08-11 / 2014-09-17
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 いつまで生きてていつ死ぬか解らない程、不安な淋しいことはないと、お葉は考へたのである。併し人間がこの世に生れ出た其瞬間に於いて、その一生が明らかな數字で表はされてあつたならば、決定された淋しさに、終りの近づく不安さに、一日も力ある希望に輝いた日を送ることが、むづかしいかもしれない。けれどもお葉の弱い心は定められない限りない生の淋しさに堪へられなくなつたのである。そして三十三に死なうと思つた時、それが丁度目ざす光明でもあるかのやうに、行方のない心のうちにある希望を求め得たかのやうに、限りない力とひそかな喜びに堪へられなかつたのである。
 お葉は十八の年、不具になつた。
「これからなんでもお前の好きなことをしたがいい。」
 一人の母親はそれが本當に什うでもいいやうに、茫然とお葉の顏を見て言つたのである。庭の椿の葉の上から、青空が硝子の樣に冷たく澄んでゐるのを見てゐた彼女は、急に籠を出された小鳥のやうに、何處へ飛んで行かうといふ、よるべない空の廣さに堪へられない淋しさを感じた。
 空は廣い。その始めと終りはいづこに定められてあるのであらう。人間は生きるといふ事さへ定められてない。死といふことさへ定められてゐないのだ。人間が初めて草のやうに生ひ立つた自身を振り返つて、限りなく晴れた空の廣さを見上げた時、そこに落ちつきのない不安なとりとめのない淋しさが身に迫る、お葉は初めて自分の身を振り返つたのである。彼女はいま黄昏の部屋に於いて、靜かに縫つてゐる銀色の針でさへ、いつ折れるか解らないことを考へた。自分の五本の指でさへ、その二本が失はれないとも限らない。お葉は赤い帶の下につつましく重ねられた二脚の足の一脚は、豫期しない運命の爲めに奪略されたのであつた。彼女は針を止めて、その指を一つ一つ折つて行く未來の中に三十三といふ年のあることを考へたのである。その年は月光のやうな青白い光りを持つてゐることを感じた。劍のやうな鋭さを持つてることを考へた。そしてお葉はそこに瞑想したのである。ささいの感情はそこに弱いもののすべてを迷信的に支配した。それにどんな矛盾があつてもいい。彼女は三十三の年に死なうといふ事を考へて、定められた自分の命の尊さに、充實した力づよさを感じたのである。
 お葉はすべての幸福を死に求めた、それが未來であるやうに。またすべての行爲は死によつて定められた、それが希望であるやうに。すべて見る眼考へる心、それに死は幻のごとく浮んだのである。
 彼女は夕方よく裏道を歩いた。
 母に連れられた子供は、遠い夕雲と母親の足どりに氣をくばりながら物悲しく歩いて、お葉と行き違つたのである。子供はふと悲しくなつて母親を見た。母親は笑つて子供を振り返つた。子供は漸く安心したやうに改めて、お葉に對して驚異の瞳を輝かしたのであつた。
 いつまでたつても子供の好奇心は盡きさうにない。そして…

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