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防火栓
ぼうかせん
作品ID2064
原題DAS GROBE VERGNUGEN
著者ヒルシュフェルド ゲオルヒ
翻訳者森 鴎外 / 森 林太郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「鴎外選集 第14巻」 岩波書店
1979(昭和54)年12月19日
初出「昴 五ノ一二」1913(大正2)年12月1日
入力者tatsuki
校正者浅原庸子
公開 / 更新2001-09-15 / 2016-02-01
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 度度噂のあつた事が、いよ/\実行せられると聞いた時、市中の人民は次第に興奮して来た。これまで毎年ロオデンシヤイド市に来る曲馬師の組は、普通の天幕の中で興行したのだが、それはもう罷められる。旅興行が定興行になる。お寺のすぐ脇のマリアの辻には、鉄骨の大曲馬場が立つ。五千人入である。やれ/\安心だ。さうなれば、誰でも往かれる。そのうち番附が出た。どの番組が早く見たいと云はうか、どうも気が迷つてならない。水藝をする白熊十七匹も、アラビア沙漠の十匹の牝馬も火踊をするコブラ嬢も、音楽のわかる道化師トロツテルも、どれも/\見たい。
 一月一日の場所開きには、二興行ある。一つは午後三時に始まるので、今一つは午後七時に始まるのである。札はどちらも疾つくに売り切れた。これまで度度難儀に逢つて来た市立劇場の座主は、妬ましげに此人気を見てゐる。いやはや。己なんぞはワグネルを聞せて遣つたり、イブセンを見せて遣つたりする。一歩進んでバアナアド・シヨオをも見せて遣る。所が人の見たがるのは白熊や手長猿だ。ロオデンシヤイド市の物のわかる連中に来て貰はうと思つて、何遍も骨を折つて見た。所が誰も来てはくれない。それがどうだ。今あの曲馬になら、人波を打つて押し寄せる。しかもなんと云ふ景気だ。
 午後興行の大入と云つたら無い。大きな建物が殆どきい/\鳴つてゐる。織屋や鉱山稼の人達が女房子供を連れて来てすわり込んでゐる。休日にもまだ炭の粉や器械油の附いてゐる、胼胝の出来た手が鳴る。これが本当のおなぐさみだ。一週間の、残酷な日傭稼の苦も忘れられる。鉱山の坑の闇が不思議の赫きになつて、歎息の声が哄笑の声になる。丸で種類の変つた人間が丸で性質の変つた冒険をするのが面白い。一体あの白熊のうちのどれかが怒り出すと好いのだが、生憎怒らない。山の坑の中では、いつ爆発があるやら分からないのだ。ここで猛獣を鞭で打つたり、横木に吊り下がつたりする人達のうちで、誰があの爆発の危険なんぞを想像することが出来るものか。あしたから又不断の、いやな、あぶない目を見る人達も、今はそれを綺麗に忘れてゐて、思ひ切つて払つた金だけの値打のある面白さに浮かれてゐる。
 曲馬組の頭マツテオ・カスペリイニイはけふひどく貧民に同情して、大抵晩の興行に出して、金を倍払ふお客様に見せる程の物は、吝まずに午後の興行にも出す。それ丈の事は別に苦にせずに出来る。晩も大当な事は受け合はれるからである。
 曲馬組の人達は暇のない働きをしてゐるので、晩の興行の客がどの位場外に詰め寄せて来たか、平生ひつそりしてゐる、マリアの辻にどんな前景気が見えて来たか、知らずにゐる。ロオデンシヤイド市の警察は人数も余り多くない。それに余り智慧もない。そこで大変な惨状を呈しさうな模様の見えてゐるのに、それを予防しようともしなかつた。
 カスペリイニイの曲馬場は正面の入口が頗広い…

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