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詩集『花電車』序
ししゅう『はなでんしゃ』じょ
作品ID2157
著者横光 利一
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆23 画」 作品社
1984(昭和59)年9月25日
入力者加藤恭子
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-05-17 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今まで、私は詩集を読んでゐて、涙が流れたといふことはない。しかし、稀らしい。私はこの「花電車」を読みながら涙が頬を伝って流れて来た。極暑の午後で、雨もなく微風もない。ひいやりと流れて来たのはひと条の涙だけ――ああこれは、おれの涙かなと私は思ひ、詩人の貌をしばらく遠空に描いてゐた。私はこの風顔が好きである。

 私は戦争中一番愉しく眺めたのは、アンリ・ルッソオの絵だった。それも汚ならしく皺のよった、たった一枚の版画で、押入れの埃の底から出て来たものだ。私はぽんぽんと埃を払ひ、こんなところにこんな絵が、と、両手に支へ、証書を読むやうに眺めたり、壁へ両手で張りつけて、首を後ろへ引きつけて眺めたり、――私はアンリ・ルッソオの絵の広告を今ごろこゝでする用もないが、この花電車の中にはルッソオも伴に乗ってゐるからだ。
 終戦になる一、二ヶ月前の時、私は焼野原になった東京から、東北地方の鶴岡といふ街へ家族を訪ねに出かけてみた。ところが、ここがそろそろ空襲に見舞はれ出し、街は疎開騒ぎでごった返しの最中だった。どの家からも荷を積み上げた荷車が街を離れて四方へ散った。ある日の午後、私は古本屋へ入り、残り少くなった屑本類を引っくり返して見てゐると、底から一冊ぼけた絵本が出て来た。見ると、これがまたアンリ・ルッソオの画集であった。私はここでも埃を払ひ、懐へ押し込んで家へ戻り、一日その絵を眺め暮した愉しさを忘れない。七月の空はよく晴れてゐて、枝に透いた杏の実の丸い黄色が、私は、このときほど果実のまるい美しさを見たことがない。そこへ、B29[#「29」は縦中横]の銀色の羽根がナイフのようにやって来た。膝の上に展いてみてゐたルッソオの絵は、空の杏の実に戯れる鳥のやうな童心に溢れてゐる。まったく、かうして――現実をぱったり停めて見ると、眼にするものすべて尽く絵か観念かのどちらかだった。鳥飛んで鳥に似たりであった。

子は
絵本に
電車を見つけると
その上に乗って
足をバタバタさせるのだ(花電車と子)

 冬になって私はまた東京へ戻って来た。留守をしてゐてくれたHが、北川冬彦氏の来訪を話しながら、「いろいろ戦災の話を人から聞いたが北川氏が一番ひどい目にあってゐる」と語って、猛火の底の氏の死闘のさまを髣髴させた。それから半年、ある詩の雑誌が私の手元に届いた。拓くと中に北川氏の「渡船場附近」という短篇が見えてゐる。一読して、私は終戦以来眼にした最も佳い作品の一つだと思った。太く一気に吐いた呼吸のその見事さ、厚朴醇美の貴格ある整正。次に一年してから、この花電車の詩の草稿が私の手に届けられた。

アンリ・ルッソオの絵を見ると
その場で
固い心もなごやかになり頬も思わずほころびてしまう
こんな平和をたゝえている絵はめずらしい
こんな平和の気分をまき散らしている絵はない
底なしの平和郷だ(平和郷)

 …

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