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月蝕
げっしょく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「夢野久作全集3」 ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年8月24日
初出「猟奇」1928(昭和3)年3月
入力者柴田卓治
校正者しず
公開 / 更新2000-05-19 / 2014-09-17
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

   ★

鋼のように澄みわたる大空のまん中で
月がすすり泣いている。
………けがらわしい地球の陰影が
自分の顔にうつるとて…………
それを大勢の人間から見られるとて…………
…………身ぶるいして嫌がっている。

   ★

………しかし………
逃れられぬ暗い運命は…………
刻々に彼女に迫って来る。
大空のただ中に…………

   ★

……はじまった……
月蝕が…………

   ★

彼女はいつとなく死相をあらわして来た。
水々しい生白い頬…………
……目に見えぬ髪毛を、長々と地平線まで引きはえた………
それが冷たく……美しく……透きとおる……
 コメカミのあたりから水気が…………ヒッソリとしたたる。

   ★

彼女はもう…………
仕方がないとあきらめて
暗い…………醜い運命の手に…………
自分の美をまかせてしまうつもりらしい。

   ★

顋のあたりが
すこしばかり切り欠かれる。
…………黒い血がムルムルと湧く。
…………暗い腥いにおいが大空に流れ出す。
…………それが一面に地平線まで拡がってゆく。
彼女を取巻く星の光がギラギラと冴えかえった。

   ★

彼女の瞼が一しきりふるえて
やがて力なく黝ずんで来る。
鼻の横に黒い血の[#挿絵]が盛り上る。
…………深く斬込まれた刃の蔭に
赤茶気た肉がヒクメク。

   ★

世界は暗くなった。
すべての生物は鉛のように重たく
針のように痛々しい心を
ジッと抱いて動かなくなった。

   ★

けれども暗い……鋼鉄よりもよく切れる円形の刃は
彼女の青ざめた横頬を
なおもズンズンと斬り込んでゆく。
そこから溢れ出る暗い…………腥いにおいにすべては溺れ込んでゆく。
…………山も…………海も…………森も…………家も…………道路も…………
…………そこいらから見上げている人間たちも…………

   ★

その中にただ一つ残る白い光…………
彼女の額と鼻すじが
もうすこしで…………
黒い刃の蔭に蔽われそうになった。

   ★

空一面の夥しい星が
小さな声で囁き合って
又ヒッソリと静まった。

   ★

陰惨な最後の時…………
顔を蔽いつくす血の下に
観念して閉じていた白い瞼を
パッチリと彼女は見開いた。

   ★

案外に平気な顔で
下界の人々を流し眼に見まわした
ニッコリと笑った。

   ★

…………ホホホホホホホ……
これはお芝居なのよ。
……大空の影と光りの……。
だから妾は痛くも苦しくも………
……何ともないのよ…………
そうしてもうじきおしまいになるのよ。

   ★

…………でも皆さんホントになすったでしょう。
……あたし名優でしょう……
オホホホホホ……………

   ★

ではサヨウナラ…………
みなさんおやすみなさい。
……ホホホホホ……………………
ホホホホホ……………………………

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