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丸善と三越
まるぜんとみつこし
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦随筆集 第一巻」 岩波文庫、岩波書店
1947(昭和22)年2月5日、1963(昭和38)年10月16日第28刷改版
初出「中央公論」1920(大正9)年6月
入力者田辺浩昭
校正者かとうかおり
公開 / 更新2003-06-13 / 2014-09-17
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 子供の時分から「丸善」という名前は一種特別な余韻をもって自分の耳に響いたものである。田舎の小都会の小さな書店には気のきいた洋書などはもとよりなかった、何か少し特別な書物でもほしいと言うと番頭はさっそく丸善へ注文してやりますと言った。中学時代の自分の頭には実際丸善というものに対する一種の憧憬のようなものが潜んでいたのである。注文してから書物が到着するまでの数日間は何事よりも重大な期待となんとも知らぬ一種の不安の戦いであった。そしてそれが到着した時に感じたあの鋭い歓喜の情はもはや二度と味わう事のできない少年時代の思い出である。
 東京へ出るようになってからは時々この丸善の二階に上がって棚の書物をすみからすみへと見て行くのが楽しみの一つであった。ほしい本はたくさんあっても財布の中はいつも乏しかった。しかしただ書棚の中に並んでいる書物の名をガラス戸越しにながめるだけでも自分には決して無意味ではなかった、ただそれだけで一種の興奮を感じ刺激と鞭撻を感ずるのであった。神社や寺院の前に立つ時に何かしら名状のできないある物が不信心な自分の胸に流れ込むと同じように、これらの書物の中から流れ出る一種の空気のようなものは知らぬ間に自分の頭にしみ込んで、ちょうど実際に読書する事によって得られる感じの中から具体的なすべてのものを除去したときに残るべきある物を感じさせるのであった。今でも覚えているがあのころここの書棚の前に立って物色している時には自分の目が妙に上づりになって顔全体が緊張するのを明らかに自覚した。そして棚のガラス戸におぼろげに映る自分の顔をひそかに注意して見た事もある。それからまたある時自分にしては比較的高価な本を買った時に応接した店員の顔がどこかにちらとひらめいたと思われた冷笑の影が自分に不思議な興奮を与えた事も思い出される。あのころには書物の値段は正札でなく一種の符徴でしるしてあった。もっともその符徴はたいていだれでも知っていたので、秘密の暗号でもなんでもなくただ数字の代わりにかたかなを使ったというだけのものであった。たとえばアンカナというのは一円二十五銭の事であったが、これが自分の頭によく残っている。イタリアの地名のようだと思った事があるからそのせいだか、あるいはこの符号のついた本を比較的に多く買ったためだか、とにかくこのアンカナの四字が丸善その物の象徴のように自分の脳髄のすみのほうに刻みつけられている。
 昔の丸善の旧式なお店ふうの建物が改築されて今の堂々たる赤煉瓦に変わったのはいつごろであったか思い出せない。たぶん自分が二年ばかり東京にいなかった間の事であろうと思う。元の薄暗い窮屈な室に比べて、天井の高い窓の多い今の二階の室は比較にならないほど明るく気持ちがいい。しかし自分にはどういうものか昔の陰気なほうが、少なくも自分の頭に巣くっている「丸善」という観念にはふ…

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