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死せる魂
しせるたましい
副題01 または チチコフの遍歴 第一部 第一分冊
01 または チチコフのへんれき だいいちぶ だいいちぶんさつ
原題MYORTVUIE DUSHI(МЕРТВЫЕ ДУШИ)
著者
翻訳者平井 肇
文字遣い新字新仮名
底本 「死せる魂 上」 岩波文庫、岩波書店
1938(昭和13)年7月1日
入力者山本洋一
校正者高柳典子
公開 / 更新2016-07-07 / 2016-06-28
長さの目安約 295 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

第一章

 県庁所在地のNNという市の或る旅館の門へ、弾機つきのかなり綺麗な小型の半蓋馬車が乗りこんで来た。それは退職の陸軍中佐か二等大尉、乃至は百人ぐらいの農奴を持っている地主といった、まあ一口に言えば、中流どころの紳士と呼ばれるような独身者がよく乗りまわしている型の馬車で。それには紳士がひとり乗っていたが、それは別に好男子でもないかわりに醜男でもなく、肥りすぎてもいなければ痩せすぎてもいず、また年配も、老けているとはいえないが、さりとてあまり若い方でもなかった。この紳士が乗りこんで来たからとて、市には何の騒ぎも起こらねば、別に変った出来ごとも持ちあがらなかった。ただ僅かに、旅館の向い側にある居酒屋の入口に立っていた露助の百姓が二人、ぼそぼそと蔭口をきいただけで、それも、乗っている紳士のことよりも、馬車の方が問題になったのである。『おい、どうだい、』と、一人がもう一人の方に向って言った。『大した車でねえか! ひょっと、あの車でモスクワまで行くとしたら、行きつけるだか、行きつけねえだか、さあ、お前どう思う?』――『行きつけるともさ。』と、相手が答えた。――『だが、カザンまであ、行かれめえと思うだが?』――『うん、カザンまであ、行かれねえだよ。』と、また相手が答えた。これでその話にも鳧がついてしまったのである。あ、それからまだ、馬車が旅館の間近までやって来た時、一人の若い男と擦れ違った。その男は、おそろしく細くて短かい綾織木綿の白ズボンをはいて、なかなか凝った燕尾服を著ていたが、下からは、青銅のピストル型の飾りのついたトゥーラ製の留針を挿したシャツの胸当が覗いていた。この若い男は振り返って馬車を一目ながめたが、風で吹っ飛ばされそうになった無縁帽を片手でおさえると、そのまま志す方へすたすたと歩きだした。
 馬車が中庭へ入ると、宿屋の下男というか、それともロシアの旅館や料亭で一般に呼ばれているように給仕というか、とにかく、おっそろしくてきぱきして、あまりせわしなく動きまわるので一体どんな顔附をしているのか、見分けもつかないような男が飛び出して、紳士を出迎えた。その男はひょろ長い躯に、襟が後頭部までも被さりそうな、長い半木綿のフロックコートを著ていたが、片手にナプキンを掛けたまま素早く駆け出して、さっと髪を揺りあげるように一揖するや否や、木造の廊下づたいに、そそくさと紳士を二階の有り合わせの部屋へ案内して行った。それは至極ありふれた部屋であった。というのは、第一、旅館そのものが、極くありふれたものであったからだ。つまり県庁の所在地などによくある旅館で、なるほど一昼夜二ルーブリも払えば、旅客は静かな部屋をあてがわれるけれど、部屋の四隅からはまるで杏子のような油虫がぞろぞろと顔を覗け、隣りの部屋へ通じる扉口はいつも箪笥で塞いではあるが、そのお隣りには決まって泊り客があっ…

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