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やもり物語
やもりものがたり
作品ID24395
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第一巻」 岩波書店
1996(平成8)年12月5日
初出「ホトトギス 第十一巻第一号」1907(明治40)年10月1日
入力者Nana ohbe
校正者松永正敏
公開 / 更新2004-04-18 / 2016-02-25
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ただ取り止めもつかぬ短夜の物語である。
 毎年夏始めに、程近い植物園からこのわたりへかけ、一体の若葉の梢が茂り黒み、情ない空風が遠い街の塵を揚げて森の香の清い此処らまでも吹き込んで来る頃になると、定まったように脳の工合が悪くなる。殺風景な下宿の庭に鬱陶しく生いくすぶった八つ手の葉蔭に、夕闇の蟇が出る頃にはますます悪くなるばかりである。何をするのも懶くつまらない。過ぎ去った様々の不幸を女々しく悔やんだり、意気地のない今の境遇に愛想をつかすのもこの頃の事である。自分のような身も心も弱い人間は、孟夏を迎うる強烈な自然の力に圧服されてひとりでにこんな心持になるのかと考えた事もある。こんな厭な時候に、ただ一つ嬉しいのは、心ゆくばかり降る雨の夕を、風呂に行く事である。泥濘のひどい道に古靴を引きずって役所から帰ると、濡れた服もシャツも脱ぎ捨てて汗をふき、四畳半の中敷に腰をかけて、森の葉末、庭の苔の底までもとしみ入る雨の音を聞くのが先ず嬉しい。塵埃にくすぶった草木の葉が洗われて美しい濃緑に返るのを見ると自分の脳の濁りも一緒に洗い清められたような心持がする。そしてじめじめする肌の汚れも洗って清浄な心になりたくなるので、手拭をさげて主婦の処へ傘と下駄を出してもらいに行く。主婦はいつもこの雨のふるのにお風呂ですかと聞くが、自分は雨が降るから出掛けるのである。門を出ると傘をたたく雨の音も、高い足駄の踏み心地もよい。
 下宿から風呂屋までは一町に足らぬ。鬱陶しいほど両側から梢の蔽い重なった暗闇阪を降り尽して、左に曲れば曙湯である。雨の日には浴客も少なく静かでよい。はいっているうちにもう燈がつく。疲労も不平も洗い流して蘇ったようになって帰る暗闇阪は漆のような闇である。阪の中程に街燈がただ一つ覚束ない光に辺りを照らしている。片側の大名邸の高い土堤の上に茂り重なる萩青芒の上から、芭蕉の広葉が大わらわに道へ差し出て、街燈の下まで垂れ下がり、風の夜は大きな黒い影が道一杯にゆれる。かなりに長いこの阪の凸凹道にただ一つの燈火とそのまわりの茂りのさまは、たださえ一種の強い印象を与えるのであるが、一層自分の心を引いたのはその街燈に止った一疋の小さいやもりであった。汚れ煤けたガラスに吸い付いたように細長いからだを弓形に曲げたまま身じろきもせぬ。気味悪く真白な腹を照らされてさながら水のような光の中に浮いている。銀の雨はこの前をかすめて芭蕉の背をたたく。立止って気をつけて見ると、頭に突き出た大きな眼は、怪しいまなざしに何物かを呪うているかと思われた。
 始めてこの阪のやもりを見た時、自分はふとこんな事を思い出した。自分が十九歳の夏休みに父に伴われて上京し麹町の宿屋に二月ばかり泊っていた時の事である。とある雨の夜、父は他所の宴会に招かれて更けるまで帰らず、離れの十畳はしんとして鉄瓶のたぎる音のみ冴える。外に…

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