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追憶の医師達
ついおくのいしたち
作品ID24409
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第一巻」 岩波書店
1996(平成8)年12月5日
初出「実験治療 第一五六号」1935(昭和10)年1月
入力者Nana ohbe
校正者松永正敏
公開 / 更新2004-04-14 / 2016-02-25
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 子供の時分に世話になった医師が幾人かあった。それがもうみんなとうの昔に故人になったしまって、それらの記念すべき諸国手の面影も今ではもう朧気な追憶の霧の中に消えかかっている。
 小学時代にかかりつけの家庭医は岡村先生という当時でももう相当な老人であった。頭髪は昔の徳川時代の医者のような総髪を、絵にある由井正雪のようにオールバックに後方へなで下ろしていた。いつも黒紋付に、歩くときゅうきゅう音のする仙台平の袴姿であったが、この人は人の家の玄関を案内を乞わずに黙っていきなりつかつか這入って来るというちょっと変った習慣の持主であった。
 いつか熱が出て床に就いて、誰も居ない部屋にただ一人で寝ていたとき、何かしら独り言を云っていた。ふと気が付いて見るといつの間に這入って来たか枕元に端然とこの岡村先生が坐っていたので、吃驚してしまって、そうして今の独語を聞かれたのではないかと思って、ひどく恥ずかしい思いをした。しかし何を言っていたかは今少しも覚えていない。ただ恥ずかしかった事だけはっきり想い出すのである。もちろん云っていた事柄が恥ずかしかった訳ではなくて独語を云っていた事が恥ずかしかったのである。
 五、六歳の頃好きな赤飯を喰い過ぎて腹をこわした結果「脳膜[#挿絵]衝」という病気になって一時は生命を気遣われたが、この岡村先生のおかげで治ったそうである。たぶん今云う疫痢であったろうと思われる。死ぬか、馬鹿になるか、と思われたそうであるが、幸いに死なずにすんでその代り少し馬鹿になったために、力に合わぬ物理学などに志して生涯恥をかくようになったのかもしれない。とにかく命を助かったのはこの岡村先生のおかげである。
 岡村先生が亡くなって後は小松という医者の厄介になった。老先生と若先生と二人で患家を引受けていたが、老先生の方はでっぷりした上品な白髪のお茶人で、父の茶の湯の友達であった。たしか謡曲や仕舞も上手であったかと思う。若先生も典型的な温雅の紳士で、いつも優長な黒紋付姿を抱車の上に横たえていた。うちの女中などの尊敬の対象であったようである。その若先生が折々自分の我儘な願いに応じて「化学的手品」の薬品を調合してくれたりした。無色の液体を二種混合するとたちまち赤や黄に変り、次に第三の液を加えるとまた無色になると云ったようなのを幾種類か用意してもらって、近所の友達を集めては得意になって化学的デモンストラチオンをやって見せたのであった。いつかこの若先生のところで顕微鏡を見せてもらって色々のプレパラートをのぞいているうちに一つの不思議な重大なアポカリプスを見せられた。後で考えてみたらそれは人間のスペルマトゾーンの一集団であったのである。それからまた珪藻のプレパラートを見せられ、これの視像の鮮明さで顕微鏡の良否が分かると教えられた。その後二十年たってドイツのエナでツァイスの工場を見学した…

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