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沓掛より
くつかけより
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦随筆集 第四巻」 岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日、1963(昭和38)年5月16日第20刷改版
初出「中央公論」1933(昭和8)年10月
入力者(株)モモ
校正者かとうかおり
公開 / 更新2003-06-16 / 2014-09-17
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一 草をのぞく

 浅間火山のすそ野にある高原の一隅に、はなはだ謙遜なHという温泉場がある。ふとした機縁からそこでこの夏のうちの二週間を過ごした。
 避暑という、だれもする年中行事をかつてしたことのなかった自分には、この二週日の間に接した高原の夏の自然界は実に珍しいものばかりであった。その中でもこの地方のやや高山がかった植物界は、南国の海べに近く生い立った自分にはみんな目新しいもののように思われるのであった。子供の時分に少しばかり植物の採集のまね事をして、[#挿絵]葉のようなものを数十葉こしらえてみたりしたことはあったが、その後は特別に山野の植物界に立ち入った観察の目を向けるような機会もなくて年を経て来た。最近にある友人の趣味に少しかぶれて植物界への注意が復活しかけたのと、もう一つには自分の目下の研究の領域が偶然に植物生理学の領域と接触し始めたために、この好機会を利用して少しばかりこの方面の観察をしようと思ったので、まず第一の参考として牧野氏著「植物図鑑」を携帯して行って、少しずつ、草花の名前でも覚えようと企てた。
 毎朝五時には目がさめる。子供や女中などはまだ寝ている間に、宿の後ろの丘の細道や、付近の渓流のほとりを歩いて何かしら二三種の草の花を抜いて来る。そうして露台のデッキチェアーに仰向けになって植物図鑑をゆるゆる点検しながら今採って来た品種のアイデンチフィケーションに取りかかる。やっと一つぐらい見つかるころには、朝食の用意ができた、と窓の内から声がかかるのである。
 図鑑を見ただけで、なんらの疑点もなく明確にこれだと決定できる場合は存外少ない。ほとんど同じではあるが、どうも少しちがうようだ、という場合がはなはだ多い。書物の記載も、見取り図も至極簡単であるからやむを得ない。
 そういう場合における品種鑑別の正確度に関する疑いをいっそう強められるようになったのは、非常によく似ていて、しかも少しずつちがうというような草の種類が非常に多いという事実に気がついたからである。たとえば「いぬごま」とか「かわみどり」とかいうものの兄弟従兄弟といったようなものだけでも、いったいどのくらいあるかちょっと見当がつかないくらいである。このへんにたくさんあってだれにもいちばんに目につく「ししうど」と称するものでも、みんながはたして同じものかどうか子細に見ていると疑わしくなって来る。
 もう一つ気がついておもしろいと思ったことは、何か一つの植物があるときっとその近所にそれとよく似た別の植物が見つかるということである。たとえば「松虫草」と「なべな」、「ほたるぶくろ」と「つりがねにんじん」といったようなものである。そういう類縁関係をたどって行くと、はじめは全く似たところがないと思っていたものが、だんだんに少しずつ似たところを暴露して来るのである。これと同じようなことが、どう…

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