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予の描かんと欲する作品
よのえがかんとほっするさくひん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」 筑摩書房
1972(昭和47)年1月10日
初出「新潮」1909(明治42)年2月1日
入力者Nana ohbe
校正者米田進
公開 / 更新2002-05-27 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 如何なるものを描かんと欲するかとの御質問であるが、私は、如何なるものをも書きたいと思う。自分の能力の許す限りは、色々種類の変化したものを書きたい。自分の性情に適したものは、なるべく多方面に亙って書きたい。然し、私のような人間であるから、それは単に希望丈けで、其希望通りに書くことは出来ないかも知れぬ。で、御質問に対して漠然としたお答えではあるが、大抵以上に尽きて居る。私は、或る主義主張があって、その主義主張を創作に依って世に示して居るのではない。であるから、斯う云うものを書いて斯うしたいと云う、局部的な考えは別にない。従って、社会一般に及ぼす影響とか、感化とか云うけれ共、それも、作物の種類、性質に依って自[#底本のルビは「おのず」]ら生じて来るものであるから、斯う云う方面の人を、斯う云う風に、斯う云う点で影響しようと云うのは、茲に判然と具象的に出来上ったものに就て云うことで、それを、作物の未だ出来上って居ない未来のことに就て、今茲に判然と云うことは出来ない。
 では過去の作物に就て話せと云うのですか。では貴方の方で質問を呈出して下さい。それに就てお答えすることにします。『虞美人草』の藤尾の性格は、我儘に育った我の強い所から来たのか、自意識の強いモダーンな所から来たのかと云うのですか。それは両方に跨って居る。単に自意識の強いモダーンな所を見せようと云う、それを目的にして書いたなら、ああは書かなかったであろう。併し一面に於てはそれも含んで居る。柔順な女と、我の強い女を、藤尾と糸公に依って対照させ、そして、然うした性格の異る二個の女性の運命を書いて見せたのかと云うのかね。別に然んな考えはない。必ずしも自意識の強い女はああ云う風に終るもので、お糸のように順良な女は、ああ云う結果になると定ったものではない。従って、あの作に異った性格を有する二個の女性の運命が書いてあるからと云って、直にあの作に依って世間全体のああした性格の女性を説明し尽したと思われては困る。両方ともああ云う性格の女はああなると定っては居ない。唯、パティキュラー・ケースがああなると云う丈けで、全体がああ云う運命になると云うことは含んで居ない。
 で、ああした二個の女性を描き、あの事件を発展させ、そしてああした終りになったのは、何か教訓的意味を含んで居るのではないかとのお尋ねであるが、一体教訓と言えば、所謂昔流の小説に於て、道徳上の制裁を、読者も、作者も予期して居た時代に、人の云々した世の中の教訓に合わして拵らえたのかとお聞きになるのならば、然うじゃないとお答えする。それは作家として茲に一種の教訓的の考えを頭に置いて、其考えに都合の好いように人物を造り、事件を発展させて作物を捏ね上げたと云うことは、自分で作家の資格を削り取ると同じことではあるまいか。けれ共、一種の作品が出来て、其作品が、作品として出来上る…

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