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芭蕉について
ばしょうについて
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十一巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日
初出「新女苑」1940(昭和15)年1月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-03-19 / 2014-09-17
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 芭蕉の句で忘られないのがいくつかある。

あらたうと青葉若葉の日の光
いざゆかん雪見にころぶところまで
霧時雨不二を見ぬ日ぞおもしろき

 それから又別な心の境地として、

初しぐれ猿も小蓑をほしげなり
おもしろうてやがてかなしき鵜飼かな
馬をさへながむる雪のあした哉
住つかぬ旅の心や置炬燵
うき我をさびしがらせよかんこ鳥

 雄大、優婉な趣は、

辛崎の松は花より朧にて
五月雨にかくれぬものや瀬田の橋
暑き日を海にいれたり最上川
荒海や佐渡によこたふ天の河

 そして「枯枝に」がある。

枯枝に烏のとまりけり秋の暮
塚も動け我泣声は秋の風
あか/\と日は難面もあきの風
旅にやんで夢は枯野をかけ廻る

 連句のなかにもまた独特な感覚がある。例えば、

このごろの上下の衆のもどらるゝ    去来
腰に杖さす宿の気ちがひ        芭蕉

二の尼に近衛の花のさかりきく     野水
蝶はむぐらにとばかり鼻かむ      芭蕉

芥子あまの小坊交りに打むれて     荷兮
おるゝはすのみたてる蓮の実      芭蕉

 このような様々の情緒とつよい現実感の峯をなして、

閑さや岩にしみ入蝉の声

の句が、芭蕉の芸術として今日まで消えぬ精神の響をうちいだしていると思う。この雑誌には吉田絃二郎氏の氏らしい「奥の細道」註解が連載されていた。ここにあげた中の幾つかの句は「奥の細道」におさめられているものだが、芭蕉という芸術家が、日本の美感の一人の選手だから、教養の問題として、それがわからないというのはみっともない、そういう気持にかかずらうことはちっともいらないと思う。私たちの今日に生きている感覚に訴えるものをもっていなくて、しかし文学古典の表の中では意味をもっているという作品は実にどっさりある。その場合は、現代の心に響くものはないということに、歴史のすすみの歓びがあるのであって、古典にとっても現代にとっても些も不名誉なことではないと思う。でも、芭蕉の芸術はどうだろう。私は俳諧のことは何にも知らない。全くの門外漢なのだけれども、折々読んだ句集の中から与えられて来ている感銘が多く深いところをみれば、彼の芸術には今の瞬間に息づいている何ものかがあるにちがいない。ここにぬきがきした僅の句は、私たちに理解されるというばかりでなく真実の共感があるものばかりである。芭蕉の芸術の特質である「さび」は同時に日本人の人生態度の底を流れるものであるから、芭蕉の分らない日本人というものはあり得ない。そういう通俗の断論はこれまでに随分流布している。特に、この三四年は日本が日本を再発見する必要に立たされて、文化や芸術の面で日本の古典が再認識を試みられるようになって来た。そして、これまで余り古典にふれなかった文化層の人々がとりいそぎそういうものにとりついて行って、それらの芸術の逸品に籠っている高…

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