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文学について
ぶんがくについて
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十三巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年11月20日
初出「文化評論」1967(昭和42)年8月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-05-22 / 2014-09-17
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 去る六月二十八日、本部において二三の政治局員と文化部関係者および新日本文学会のグループの合同会議がもたれ、来る七月三・四日に行われる党員芸術家会議に対する準備的な討論が行われたことを知りました。
 その席上、わたしについて書記長からの発言があり、その内容についてききました。
 当日、そのような会議のあることについて、わたしは全く知りませんでした。また、そこでわたしについての発言が行われるということもしりませんでした。したがって当然私自身は意見に代えるものを提出もしていませんでした。七月三・四日の会議も目下のわたしの健康事情では出席不可能です。ついては、本人が出席していないところで、責任ある人によって公的に発言されたことが事実をあやまっていることは迷惑ですから、この機会に簡単にわたしの事実を明白にいたします。

 本部の会議の席上いわれた書記長の発言を要約すると大体左の諸点のようです。
一 宮本百合子の作品は大衆によまれていない。書記長は三行以上よめない。階級性がなくて多面性がない。観念的である。
二 宮本百合子は、ごうまんで天狗になっている。現代の紫式部と自任し、うぬぼれ、自己陶酔して、こたつにあたったような暮しをしている。
三 立候補しない。だから党的に成長しない。
四 宮本百合子を評価することは他の党員作家に対して有害である。
 以上の項目の若干についてある程度の訂正もされたようですが、とりあえず全体としてかんたんに事実をあきらかにいたします。
一 私の作品が大衆にどの程度よまれているかいないかということは、出版統計や職場の図書部や文学サークル、図書館その他に調査の大体が示しています。去る三月九日のアカハタにもしるしたとおりであり、これらについては反覆する必要はないでしょう。
  文学運動について多少とも冷静に客観的事実を重んじる人は、それが従来の民主的プロレタリア文学の読者層をより広く開拓したことは率直にみとめています。そのことはそれに満足するということでないのはもちろんですが。自身が三行以上読んだことのない小説についてどうしてその内容につき、階級的価値について断言することができるでしょうか。
  わたしの文学作品の階級性については、一九三一年ソヴェトから帰ってプロレタリア作家同盟に参加してから今日までの全作品と全評論とを冷静に検討すれば、基本的解答は明らかだろうと思います。もちろんそれぞれの作品には、出来、不出来もあり、むらもあるけれども、それらを一貫して明瞭な階級性があるから、度重る検挙投獄と執筆禁止を蒙ったと思います。戦前の作「乳房」は、ソヴェト世界革命文学の集に翻訳され、戦後の「播州平野」は、ソヴェトの文学新聞に、日本で広汎に支持されている階級的作品として紹介され、中国語にもほんやくされています。この事実は何を語るでしょうか。「播州平野」「風…

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