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ものわかりよさ
ものわかりよさ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「婦人画報」1940(昭和15)年10月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-07-18 / 2014-09-17
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 昔から女にもとめられている日常の美徳の一つに、ものわかりのよさ、ということがある。
 とかく女が狭い生活にとじこめられていたために、人生の視野がせばまって、我執だの偏執だのが女につきものの気質のように見られた一方の、その対蹠的な要求とでもいうべきものだったのかもしれない。やきもちをやかないこと、そして物わかりのよいこと。その二つが身に備わっているとなれば、賢い女のうちに入れることはまぎれもなかった。
 女にものわかりのよさをもとめられたのは、昔だけのことだろうか。男の世界によい意味でも目の上の瘤にならないように、わるい意味でも邪魔っけにならないように、女のものわかりよさが求められたのは、昔ばかりのことだろうか。
 ぐるりと生活を見わたすと、今日でもやはり、女に向かってこの同じものわかりよさが何かにつけもち出されていると思う。君はわからない女だ、という言葉の内容は、君はわからない男だというと同じ内容ではいわれていないのが実際だと思う。わからない男だ、というとき、その言葉には相手が人生的なことかあるいは職業的なことか、何はともあれ原理的な点で正当な理解をもっていないという意味がこめられている。わからない女だね、という表現は、いつの場合も決してそれほど原理的なことの判断についていわれるのではない。むしろ日常の一寸したこと、男の側からいえば、そういうものだよ、というようなとき、それがすらりとうなずけない女の心を、わからない女と表現することの方が多い。
 しずかに考えてみると、ものわかりのいいということと、物の理解が正しくて深いということは全く別である。今日の若い世代のものは、誰しも人間としてより正しく深く自分の一生についても考えわかって生きてゆきたい慾望をもっているし、同時に、そのように考える精神のよりどころについてある自信なさにおかれてもいる。そのために、本当に考えて責任をもって生きたいという心持が、ある場合は、女はものわかりよくなくてはならない、というどこからかの声に動揺させられたりしがちだと思われる。
 大体に、ものわかりのよさの本質は、発見の精神ではなくて適応の精神であり、創造への感情ではなくて、従属への感情である。ものわかりよさは、高い人間の明知とはちがった性質のものである。一方に深い質問を抱いてそれを追究して新しい何かの価値を人生にもたらして来るような、そういう建設の意力を、ものわかりよさはもっていない。ものわかりよさは、いつでも現在その人の生活する世間で通用している型どおりのものの上手なとりあわせを心得ているということである。善悪の判断のあり来りの型だの、表通りはそうでも、裏の小路はこうついていて、そこの歩きかたはこうこうという要領や、人間はあまりの真実はかえって嫌う臆病さをもっていること、嘘も方便ということ、労少くして功多きを賢しとするしきたり、そ…

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