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幸運の手紙のよりどころ
こううんのてがみのよりどころ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「日本学芸新聞」1939(昭和14)年8月20日号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-08-02 / 2014-09-17
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


 幸運の手紙というものは、私自身としては送られたことがない。もし送られたら、多分そのまますててしまうだろうと思うけれども、立ちどころに厄災来る、というようなことが書かれていたら、やっぱりいい心持はしないであろう。あら、いやね、こんなものが来た、というだろうと思う。
 幸運の手紙というのは、絶えず地球をまわっていて、時々日本へもめぐって来るというものなのだろうか。それとも日本の内は日本の内だけ廻っているのだろうか。きいて見たがはっきり知っている人もなかった。
 人間は誰でも心の底でぼんやり幸福をねがっていると思う。ぼんやりと、自分でもその本態をはっきりつかめずに幸福や安らかさを思っている心を、幸福の手紙が、却って凶悪のはっきりした予告でおどろかして、一つの手紙も書くという行動に動かして行くところは、なかなか心理的である。このことは、皆が、不幸とか災難とかについては、その種類もその数の多さも大抵は知っていて、災難というと立ちどころに、ああと思うめいめいの心当り、危惧さえ日常生活の裡には存在しているという我々の現実を語っている。前線に愛する誰彼を出しているような人にとって、厄災と云う字は笑いすてきれないかげを投げるだろう。
 幸運の手紙は、従って人々がともかく幸福らしいものをたっぷりもって暮している世情の中では、効力を余り発揮しない。幸福や幸運というものがいかにもぼんやり遠くにあって、今日の現実とは反対のものとして心に描かれているような社会の条件のなかでこそ、幸運の手紙はその循環を全うし得るのではなかろうか。
 地球を七巻き巻くとかいう云いかたも執念めいた響きを添える。七巻きとか七巻き半とかいう表現は、仏教の七生までも云々という言葉とともに、あることがらを自分の目前から追い払ってもまだそれはおしまいになったわけではないぞよ、という脅嚇を含んでいる。自分たちの棲んでいる地球を天界の外から見た人はないのだから、そういう地球を七巻きまくと云えば、気味悪い脈々とした連続をも感じさせよう。
 今度は幸運の手紙を貰った人が警察に届けたということもあったようである。そんな手紙を貰って、しんから薄気味わるく思う顔付も想像され、それを届けて警察にもって行く姿というのも、市民的な感情の道をよくあらわしていると思う。そして何となく、そこにあわれのこもったユーモアもある。そうして、幸運の手紙を廻り出させる世の中のありようを保管しておく紙袋はどこにあるとも思えないのだろう。
〔一九三九年八月〕



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