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家庭と学生
かていとがくせい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十四巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日
初出「三田新聞」1941(昭和16)年5月25日号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2003-08-08 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 今日家庭というものを考える私たちの心持は、おのずから多面複雑だと思う。
 家庭は今日大事とされている。貯蓄のことも、生めよ、殖せよということも、モラル粛正も、専ら家庭内の実行にかけられている。
 昨夜の夕刊には、大蔵省の初の月給振替払いの日のことがのっていた。月給百五十円以上の人々は、現金としては半額しか入っていない月給袋をうけとった。すぐ振替えをとることが出来るのだそうだけれど、私たちは閃くような思いで、うちはどうするのだろう、と考える。先日の新聞には、月給百五十円の人の家計は昨今五十円ずつ足を出して、それは赤字となっていることが報告されていた。私たちはみんな自分の実際でそのことは知っている。だから、それさえも半額ときくと、無関心でないのだと思う。
 段々民間にもその方法を試みると語られていて、その方法がひろく行われれば行われるほど家庭はどうやってゆくのだろうという思いがひろがるのではなかろうかと思った。民間のいろいろの業者・経営者にとって、月給はともかく現金では半額だけ手わたせばいいということは、不便な方法ではなかろう。悪質の支払主は、そこに相当の才覚と無恥とをくりひろげることは火を見るよりも明らかなのだから。そうしたら、うちはどうしてやって行くのだろう。
 学生の生活にも、そういう世間の動きは直接間接に響いているわけと思う。その面からだけでも、家庭と学生生活とのいきさつは、そうそう暢気に行ってもいないのが現実であろう。家庭の間で、学校へ行っている若者たちに対する大人の感情がどんなに変って来ているかというような点も相当微妙だろうと思う。学生を未来の担い手として愛し感じている風潮であるか、それとも、学生は未成人であるという面を強調して観られてゆくかということでは、人生の光彩が大分違って来る。
 たとえば、福沢諭吉の時代、学生というものはまぎれもなく未来の担い手としての理解において自他ともに存在させられていたと思う。上野の山に砲声をききながら、福沢諭吉は塾の講堂を閉さずに、経済学の講義をしつづけた。このことには、学生をいかに見るかということについての信念があらわれていると思う。そういう存在として見られ育てられた学生たちは、家庭にあってやはり一種の若き世代としての尊厳と理想とを持していただろうと思う。新しい社会に、新しい家庭生活というものをつくり出してゆく者として自分たちは名誉ある義務と責任とを負わされている自覚を拒んではいなかっただろうと思う。諭吉の「新女大学」はそういう世代の生活の新鮮なモラルの目醒めに呼びかけたものでもあったのだと思う。
 今日学生生活はあらゆる面で再編成されていて、学生といえば苦労のない暢気な時代という概念は根柢から変って来ている。学生の二十四時間は、その第一時から第二十四時迄が、何かしら社会的な視線のもとにさらし出されているような感…

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