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少年の悲哀
こどものかなしみ
作品ID326
著者国木田 独歩
文字遣い旧字旧仮名
底本 「日本文學全集4  國木田獨歩」 新潮社
1964(昭和39)年4月20日
入力者網迫
校正者丹羽倫子
公開 / 更新1999-02-12 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 少年の歡喜が詩であるならば、少年の悲哀も亦た詩である。自然の心に宿る歡喜にして若し歌ふべくんば、自然の心にさゝやく悲哀も亦た歌ふべきであらう。
 兎も角、僕は僕の少年の時の悲哀の一ツを語つて見やうと思ふのである。(と一人の男が話しだした。)

     *     *     *

 僕は八歳の時から十五の時まで叔父の家で生育たので、其頃、僕の父母は東京に居られたのである。
 叔父の家は其土地の豪家で、山林田畑を澤山持つて、家に使ふ男女も常に七八人居たのである。
 僕は僕の少年の時代を田舍で過ごさして呉れた父母の好意を感謝せざるを得ない、若し僕が八歳の時父母と共に東京に出て居たならば、僕の今日は餘程違つて居ただらうと思ふ。少くとも僕の智慧は今よりも進んで居た代りに僕の心はヲーズヲース一卷より高遠にして清新なる詩想を受用し得ることが出來なかつただらうと信ずる。
 僕は野山を駈け暮らして、我幸福なる七年を送つた。叔父の家は丘の麓に在り、近郊には樹林多く、川あり泉あり池あり、そして程遠からぬ處に瀬戸内々海の入江がある。山にも野にも林にも溪にも海にも川にも僕は不自由を爲なかつたのである。
 處が十二の時と記憶する、徳二郎といふ下男が或日僕に今夜面白い處に伴れてゆくが行かぬかと誘さうた。
「何處だ」と僕は訊ねた。
「何處だと聞つしやるな。何處でも可えじや御座んせんか、徳の伴れてゆく處に面白うない處はない」と徳二郎は微笑を帶びて言つた。
 此徳二郎といふ男は其頃二十五歳位、屈強な若者で、叔父の家には十一二の年から使はれて居る孤兒である。色の淺黒い、輪廓の正しい立派な男、酒を飮めば必ず歌ふ、飮ざるも亦た唄ひながら働くといふ至極元氣の可い男であつた。常も樂しさうに見えるばかりか、心事も至て正しいので孤兒には珍しいと叔父をはじめ土地の者皆に、感心せられて居たのである。
「然し叔父さんにも叔母さんにも内證ですよ」と言つて、徳二郎は唄ひながら裏山に登つてしまつた。
 頃は夏の最中、月影鮮やかなる夜であつた。僕は徳二郎の後について田甫に出で、稻の香高き畔路を走つて川の堤に出た。堤は一段高く、此處に上れば廣々とした野面一面を見渡されるのである。未だ宵ながら月は高く澄んで冴えた光を野にも山にも漲ぎらし、野末には靄かゝりて夢の如く、林は煙をこめて浮ぶが如く、背の低い川楊の葉末に置く露は珠のやうに輝いて居る。小川の末は間もなく入江、汐に滿ちふくらんで居る。船板をつぎ合はして懸けた橋の急に低くなつたやうに見ゆるのは水面の高くなつたので、川楊は半ば水に沈んで居る。
 堤の上はそよ吹く風あれど、川面は漣だに立たず、澄み渡る大空の影を映して水の面は鏡のやう。徳二郎は堤を下り、橋の下に繋いである小舟の纜を解いて、ひらりと乘ると今まで靜まりかへつて居た水面が俄に波紋を起す。徳二郎は
「坊樣早く早く!…

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