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思想としての文学
しそうとしてのぶんがく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「戸坂潤全集第四巻」 勁草書房
1966(昭和41)年7月20日
初出「思想としての文学」三笠書房、1936(昭和11)年2月
入力者矢野正人
校正者青空文庫(校正支援)
公開 / 更新2012-10-02 / 2014-09-16
長さの目安約 422 ページ(500字/頁で計算)
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本文より






 文学という言葉を文献学という意味に使い、所謂文学の代りに文芸という言葉を使え、という意見もあるが、私はにわかに賛成出来ない。文学は単なる文芸でもなく又文献学でもなしに、ある他のもっと大事なものを指していると私は考える。
 世間で文学と呼び慣らわしているものをよく見ると、必ずしも芸術の一様式である文芸のことばかりを意味しているのではない。文芸を浸潤し、更に広く他様式の芸術的表現全般を貫徹し、それだけでなく哲学乃至科学にまで連関せねばおかぬ処の、或る脈々たる生きた真理を、世間では文学と呼んでいるのである。之は勝義に於て、思想と呼ばれているものに他ならないのだ。
 独り文芸に限らぬ思想的背景が、殊更文学と呼ばれているのには、一つの理由がある。この搏動する思想は、色や形や音に固有な表現様式の下に於ても、それに拘らず、常に言葉の影像を以て云い表わされ、又は言葉の影像へ翻訳され得る、という事情を持っている。言葉の影像とは、そういう種類の普遍性を有っているものだ。そこで文芸に通じる文学という言葉が、広くこの思想の精髄を云い表わすことになるのである。
 以上のような意味に於ける文学に就いて私が関心するようになったのは、無論、思想一般の問題を通じてである。文化の批判乃至文明批評の必要に沿うてなのである。――併し新聞や雑誌に載せた文学に関係する論稿を今集めて、一冊の本に整理して見ると、一体私がどういうものを探索していたかが、自分でも初めて判るような次第である。私は改めて「思想としての文学」という課題に気が付くようなわけだ。
 私が到達せねばならぬと考えていた観念に、科学論の領域ではとも角も辛うじて一応到達出来たと思うが、文学の領域ではまだ私はそこまで進んでいないと云った方が本当だろう。この課題の唯物論的な解決は私流には之からだ。併しそのための踏み台としてはこの本は多少の意味ある示唆を含んでいると思っている。特に文学と道徳との関係、道徳というものの新しい意義、そして之等のものと科学との連関などの分析に就いては、私は今後に向かって相当の希望を有っているのである。
 課題の解決の成功不成功などは、この評論集では殆んど問題にならない。この本の存在理由は、それよりも「思想としての文学」というこのテーマ自身の独特さにあるのだと思う。このテーマの特異性を既成のマンネリズム的議論に還元することなく、その要領を指導して呉れるような意味ある批判をまつものである。

 第一部は文学の比較的基本的な一般的テーマを、第二部は文学が含む個々の問題を、第三部は文学の割合周辺に位置する問題を、取り扱った。無論略々一貫した観点で貫かれていると云っていい。
 どの文章も時局的な意味のある主題に従ったものだが、併し時評を主目的としたものは載せなかった。――文学に直接関係ある文章は拙著『日本イデオロギー…

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