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食糧騒動について
しょくりょうそうどうについて
作品ID3636
著者与謝野 晶子
文字遣い新字新仮名
底本 「与謝野晶子評論集」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年8月16日
初出「太陽」1918(大正7)年9月
入力者Nana ohbe
校正者門田裕志
公開 / 更新2002-06-14 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 このたびの三府一道三十余県という広汎な範囲にわたって爆発した民衆の食糧騒動は天明や天保年間の飢饉時代に起ったそれよりは劇烈を極めて、大正の歴史に意外の汚点を留めるに到りました。私はこれについて浮んだいろいろの感想の一部を順序もなく書きます。
 誰も知る通り、この騒動の直接の原因は物価の暴騰で、就中米価の法外な暴騰にあるのですが、間接の原因としては、物価の暴騰を激成した成金階級の横暴と、その成金階級の利益を偏重して、物価の調節に必要なあらゆる応急手段を早く取らなかった上に、意義不明の出兵沙汰や、時機を失した調節令などに由って、一層米価の暴騰を助長した軍閥内閣の秕政とに対する社会的不平を挙げねばなりません。
 人間は久しい間の歴史的進化を続けて、科学、哲学、芸術、宗教、道徳という類の高級な精神生活を営んではおりますが、一面には動物の一種として、動物に共通する食欲、性欲の如き本能生活を保存しているのですから、生きて行くのに欠くことの出来ない食糧その他の第一必要品の供給が不足し困難になって、一旦、饑餓凍寒の状態が目前に切迫した危急の場合に臨めば、今もなお、食物が全く決定的に専ら生活の因素となっていた元始時代の人間の持っていたのと同じような猛烈な本能的衝動に駆られて、死に抵抗する力を以て、如何なる非常手段を取っても、その危急のために自衛するに足る物質的必要を満たそうとせずに置きません。窮すれば濫し、飢えては道徳の外に立ちます。知識の修養と倫理的意識の訓練とがある者とない者とでは、自制の力を抛棄するのに遅速はあるでしょうが、どうしても尋常一様のことでは饑餓の危険を避けることが出来ないとすれば、何人も生きようとする意志の不可抗力的妄動のままに、倫理の埒を越えて、もとより重々の遺憾を感じながら、野性を暴露した最後の非常手段を取ろうとします。みすみす一つの活路があるのに、それを知らぬふりして伯夷叔斉を学ぶ者は殆ど今の時代になかろうと思います。
 富山県の片田舎に住む漁民の妻女たちが数百人大挙して米一揆を起したのが、偶然とはいえ、この度の騒動の口火となったということは、このたびの騒動の主因を最も好く説明しております。彼らは最も米穀の供給の尠い土地に住み、そうして高価な米を買うことの最も困難な境遇にいて、この一両年間、絶えず日々の食糧に苦心を払い、殊に最近三カ月以来は米価の可速度的な[#「可速度的な」はママ]暴騰につれて減食の苦痛を続け、最後に一升五十銭を越すという絶体絶命の窮境に追い詰められ、饑餓と死の間に挟まるに及んで、恥も道徳も忘れた(忘れざるを得なかった)最後の非常手段を取るに到りました。私たち無産階級の婦人はいずれも家庭にあって厨を司っているだけ、食糧の欠乏については人一倍その苦痛を迅速にかつ切実に感じます。彼ら漁民の妻女たちが、たとい自分たちは飢えても、両親、良人、…

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