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有島さんの死について
ありしまさんのしについて
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「読売新聞」1923(大正12)年7月10日号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-11-12 / 2014-09-18
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 有島さんの死は余りに私にとっては大きな事柄なので、この場合それに対して批判するというような気持になっていません。ただそれによって私が強い衝撃を受けた、その気持に就いてだけお話ししたいと思います。
 森鴎外先生のなくなられたときにも私は、強い刺戟を私の胸に受けました。然し今度のことは私の全体を動かすほどの驚きでした。然し私はあの報道を手にすると共に、それは有島さんとして有り得べき事柄だと信じました。
 五月の末、或る蒸し暑い日でした。波多野さんが尋ねて来ましたが、その折なるほど女は斯うあってもいいと思わせるような瀟洒な姿であるにも拘らず、何時もよりはだいぶ痩せが見えていたので、そのことに就いて聞くと、只仕事が忙しいのと夏痩の結果であると答えていました。然し今から考えて見るとそれは死を覚悟した然し取り乱さない緊張さであったと思われます。それと同時に有島さんの死も、単に普通の人の考えるような気持ばかりでそれを観ることは出来なかろうと思います。
 有島さんは非常に人を観るの直覚力が鋭くあったようですが、従ってその死に対しても可なり深い理智の力によってそれを見通されたことではあろうが、人間の力は単に、人間の脳力によって肯定され否定され得る理智の力、即ち首から上の事だけで解決の出来ない、大きな力に支配される事があると思います。有島さんの今度の処置も或は其力の前に自然であったのではなかろうかと考えます。
 この死によって私は、殊に近来夫婦関係というような事に就いていろいろの事を考えて来ましたが、私共の機械的な日常生活の中に、こんな深遠な境地が係らわっていることか、と深く深く胸を撲たれました。そうして有島さんの最近の作物「二つの心」などを拝見しまして、あの中にある弱い男の殉情的な気持などを観ると、よくその中から今度のことが思い合わされるように思われます。
〔一九二三年七月〕



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