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時代と人々
じだいとひとびと
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「婦人公論」1942(昭和17)年1月号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-12-21 / 2014-09-18
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 わが師という響のなかには敬愛の思いがこもっていて、私としては忘られない一つの俤がそこに繁っている。
 千葉安良先生は、今どこで、どのように生活していらっしゃるだろう。
 二十余年も前、お茶の水の女学校の先生をして居られた、この一人の女性の名を知っている人の範囲はごく限られているだろうと思う。同僚の間で先生がどう見られていたかということなどは知らない。けれども、私の生涯のあの時代に、千葉先生が居られたということは、今日も猶一種の感動なしに思い出せないことである。
 女学校の三年目という年は、どんな女の子にとっても何か早春の嵐めいた不安な時期だと思うが、私のこの時分は暗澹としていた。
 丁度父は四十歳のなかば、母はそれより八つほど若くて、生活力の旺であった両親の生活は、なかなか波も風も高い日々であった。親たちはどちらかというと自分たちの生活に没頭していて、そのむき出しな率直な大人の世界の幅ひろい濤裾へ、私たち子供の生活をもひっくるめて、朝から夜が運行していた。
 そういう熱っぽい空気の裡で、早熟な総領娘のうける刺戟は実に複雑であった。性格のひどく異った父と母との間には、夫婦としての愛着が純一であればあるほど、むきな衝突が頻々とあって、今思えばその原因はいろいろ伝統的な親族間の紛糾だの、姑とのいきさつだの、青春時代から母の精神に鬱積していた女性としての憤懣の時ならぬ爆発やらであったわけだが、その激情の渦巻は、決して娘をよけては通らなかった。つむじのように捲き上った感情の柱は、一旋回して方向をかえ、娘と母との間に雪崩れ落ちるのが常だったが、そういうとき母は、娘が女の子のくせに女親の味方にならないということを泣いておこった。そして父に向ってもって行った情熱のかえす怒濤で娘を洗うのであった。
 まるで孵りたての赤むけ鳩のように、感覚ばかりで激しく未熟な生の戦慄を感じ、粗野な智慧の目醒めにいる女学校三年の娘に、どうして母の女性としての成熟しつくした苦悩がわかろう。
 その時分、よく蒼い顔をして、痛い頭で学校へ行った。母は出産のむずかしいたちで、いつも産後は難儀した。赤坊の世話は自分で出来ないで看護婦がした。その看護婦は離れた室にいることだし、商売になれすぎてもいて、夜なかにし少し赤坊が泣くぐらいのことでは、なかなか目をさまさない。それが母の心配になるので、お前は目ざといから、と私が赤子と看護婦のわきに臥かされた。弱くて到頭育ちかねたその赤子は一夜のうちに幾度か泣いて、泣くと容易にしずまりかねた。三度に一度は、むし暑い蚊帳の中で泣きしきる赤坊を抱いて歩いているうちに、やがて朝になってしまうこともある。
 そういう夜なか、さては頭の痛い昼間、種々雑多な疑問が苦しく心にせめかけた。うちでも学校でも、大人の世界は奇妙で、そこにある眼はむこうからばかり都合のいいようにこちらに向け…

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