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大町米子さんのこと
おおまちよねこさんのこと
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「アカハタ」日本共産党中央機関紙、1946(昭和21)年4月18日号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-12-21 / 2014-09-18
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 はじめて大町米子さんにあったのは、いまから十年ばかりまえのことであった。友達から紹介されて、うちへいらした。夏の夜だったとおもう。団扇をつかいながらいろいろ話がでて、大町さんはだんだん自分のくるしい境遇のことや、結婚の問題についてはなした。そういう問題をはなすについても、大町さんの正直さ、人間として一番よく生きてゆこうとしている熱意が感じられ、親愛と信頼とを感じた。大町さんは、けっきょく、もっとも責任のある愛情のえらびかたをして生活条件とすれば困難のより多い故大町氏との結婚を決心したのであった。
 結婚した大町さんは、病臥生活の良人について、愛知県の田舎の町の良人の生家へゆきそこで七年以上くらした。解放運動のために健康を失い、経済的基礎もうしなった者が、そういう点で理解のとぼしい田舎町へかえってくらすこころもちには、実にいいあらわされないくるしみがある。まして、その人の妻としての大町米子さんの立場、日々のおもいは察するにあまるものがある。米子さんは、国民学校へつとめて病夫と自分の生活をささえ、大町氏の最後までかわることない真心をかたむけつくした。
 大町さんは、御良人の葬儀がおわるとほとんどすぐ上京して来た。そして、「ほんとうに、しばらく……」と力をこめていって、あとは何もいえず、しずかに涙をこぼした大町さんの姿を私が忘れることはあるまいと思う。
 あわずにいた何年かのあいだに、大町さんはみちがえるほど立派になった。こまかいさまざまの辛苦が、大町さんの誠実な人柄のうちにうけいれられ、こなされ、選択され、方向をととのえ、明日の日本のよりよい生活の建設のために献身する女性として、十分の厚みと、暖かさと、がんばりとなって来ている。人柄のよさというなかに、大町さんの勉学ぶりがある。これは将来の発展のために、たかく評価されなければならない点だとおもう。民衆の歴史の刻々の推進と、その前衛としてのわれらの党がおうている任務は、きわめて洋々たる前途をもっている。たっぷりした実践力のあることと、理論的発展の可能をもつこと、この二つは、欠くことのできない新しい活動家の資質である。
 立候補に決定して、わずか十日あまりであった大町米子さんが二万五千票をえたことを、私たちはうれしくおもうし、当然ともおもう。大町米子さんこそ十分それにふさわしい婦人である。おくれて立ったのは、本当に残念であったとおもう。数ばかりは多い婦人代議士の質の粗末さを目の前にみて、誰しもこれには同感であろうとおもう。
〔一九四六年四月〕



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