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譲原昌子さんについて
ゆずりはらまさこさんについて
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第十七巻」 新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日
初出「民情通信」第11号、1949(昭和24)年4月譲原昌子追悼号
入力者柴田卓治
校正者磐余彦
公開 / 更新2003-12-27 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 三月十五日に発行された文学新聞に、無名戦士の墓へ合葬された人々の氏名が発表されていた。そのなかに、譲原昌子という名をみたとき、わたしははげしいショックをうけた。今年の一月十二日に亡くなられたと書いてある。一人の家族もなくて、遺骨の処置が新日本文学会に相談されたと書いてある。譲原さんが死んだ。わたしが深いショックを感じたのは、去年の一月、二人でNHKから民主的文学について対談を放送したことがあったからであった。それから去年の夏、わたしが身体をわるくして東京にいられなかった間に、譲原さんから手紙がきていて、その返事をうちの人が出しておいてくれた。そういうことがあったからだった。譲原さんというと、わたしにはNHKで会ったとき、あの人の着ていた紫っぽいちりめんの羽織を想い出す。それから録音にとりかかる前、二人で話しあっていたあいだに、びっしょり汗をかいた譲原さんを想い出す。その時、譲原さんがどんなに身体がわるいかということは誰も知らなかった。あんまり譲原さんが汗をかくので、わたしもその時の担当者であった江上さんも心配になって、いきなりではあんまり無理らしいからと、四、五日さきに録音をのばした。わたしたちは皆単に、譲原さんはひどく疲れている上に馴れない、放送局のなかは不自然に暖かいからそれでそんなに汗がでるのだろうと思っていた。わたしも羽織をぬぐほどその狭くるしい放送室は、あつくて息苦しかったから。二人で往来へ出て、田村町の停留場のところでちょっと立ち話した。譲原さんは、やっと汗のおさまった顔をして、今度は放送の日までに一遍わたしのところへ来て、打合せをしておこうという話になった。
 うちへ来てくれた日は、寒い日だったけれども、譲原さんはやっぱり小鼻に汗を出していた。その時もわたしは、譲原さんの病気がどんなに悪いかは知らなかった。譲原さんは自分の病気のことをちょっと話して、何しろ少しでも栄養をとろうと思えば、住む場所をえらぶゆとりがなくなるから、今いる田村町のアパートも身体にわるい条件なのは分っているけれども、なかなか動けないといった。それを譲原さんは、あっさりとした口調で、わたしたちみんながこの日頃のやりくりについて話すときと同じように話した。感傷を訴えもしなかった。だからわたしは、その日も譲原さんの身体のことよりも、放送に気をつかわせまいとして、お互いにらくな気分で話しましょうよということを強調してわかれた。
 この放送は、譲原さんが自由にしっかりとよく話して、好評だった。
 それっきり、わたしは譲原さんに会わずにしまった。去年の夏から自分も具合がわるくて、暮から正月へかけては非常によくない状態におちいった。ときどき譲原さんはどうしているだろうと思っていたところへ、無名戦士の墓へ葬むられた譲原さんのことを知って、自分が病気なだけにわたしのうけた衝撃ははなはだしか…

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