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秋の七草に添へて
あきのななくさにそえて
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「花の名随筆9 九月の花」 作品社
1999(平成11)年8月10日
入力者門田裕志
校正者林幸雄
公開 / 更新2002-05-23 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 萩、刈萱、葛、撫子、女郎花、藤袴、朝顔。
 これ等の七種の草花が秋の七草と呼ばれてゐる。この七草の種類は万葉集の山上憶良の次の歌二首からいひ倣されて来たと伝へる。

  秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花
  萩の花尾花葛花なでしこの女郎花また藤袴朝顔の花

 朝顔が秋草の中に数へられると言へば、私達にとつて一寸意外な気がする。早いのは七月の声を聞くと同時に花屋の店頭に清艶な姿を並べ、七月の末ともなれば素人作りのものでも花をつける朝顔を、私達は夏の花と許り考へ勝ちである。尤も朝顔は立秋を過ぎて九月の中頃まで咲き続けるのだから、秋草の中に数へられるのもよいであらうが、特に真夏の夕暮時、朝顔棚に並ぶ鉢々に水を遣りながら、大きくふくらんだ蕾を数へ、明日の朝はいくつ花が咲くと楽しい期待を持ち、翌朝になつて先づ朝顔棚に眼をやり、濃淡色とりどりの大輪が朝露を一ぱいに含んで咲き揃つてゐる清々しさに私達は一入早暁の涼味を覚える。ある貧しい母のない娘が背戸に朝顔を造り、夕に灯をつけてその蕾を数へ、あしたは絞りの着物が三つ、紺のが一つ仕立つと微笑んだのをいぢらしく見たことがある。だが、秋の七草に含まれる朝顔は夏の朝咲くいはゆる朝顔――これを古字にすれば牽牛子又は蕣花と書く――ばかりではなく、木槿と桔梗をも総称してのものである。さういへば木槿も桔梗も牽牛子と同じやうに花の形が漏斗の形をしてゐる。
 七草は野生の植物で、花の色は女郎花の黄を除いてみな紫か紫系統である。秋の野花のいろは総じて紫か黄、白で、精々華やかなものでは淡紅色がある。いづれも夏草に見る情熱の奔騰する激しさはなく、近寄つて見なければその存在さへもはつきりしないほどに慎ましく控え目である。秋は森羅万象が静寂の中に沈潜してゐる。空は底深く澄み、太陽は冷めて黄ばみ、木の葉は薄く色づく、野末を渉る風さへも足音を秘めて忍び寄る。かゝる自然の環境の中に咲く秋草もまた自ら周囲に同化するのであらう。かすかに伝ひよる衣ずれの音。そこはかとなく心に染むそら薫もの。たゆたひ勝ちにあはれを語る初更のさゝやき。深くも恥らひつゝ秘むる情熱――これらの秋は日本古典の物語に感ずる風趣である。秋それ自身は無口である。風と草の花によつて僅にうち出づる風趣である。だが、かそけきもの、か弱きもの必ずしも力なしとはいへない。しなやかさと真率なることに於て人生の一節を表現し巌の如き丈夫心をも即々と動かす。上代純朴なる時代に男女の詠めりし秋草に寄する心を聞けば

     日置長枝娘子
  秋づけば尾花が上に置く露の消ぬべくもわが念ほゆるかも
     大伴家持
  吾が屋戸の一枝萩を念ふ児に見せずほと/\散らしつるかも

 萩、桔梗、女郎花は私に山を想はせ、刈萱は河原を、そして撫子と藤袴は野原を想はせる。これ等はその生えてゐる場所にかうはつきり…

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