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水郷
すいごう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「三島霜川選集(上巻)」 三島霜川選集刊行会
1979(昭和54)年4月8日
初出「文庫」1906(明治39)年7月15日
入力者小林徹
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-12-22 / 2014-09-18
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 水の郷と謂はれた位の土地であるから、實に川の多い村であツた。川と謂ツても、小川であツたが、自分の生れた村は、背戸と謂はず、横手と謂はず、縱に横に幾筋となく小川が流れてゐて、恰ど碁盤の目のやうになツてゐた。それに何の川の水も、奇麗に澄むでゐて、井戸の水のやうに冷たかツた。川が多くツて、水が奇麗だ! それで、もう螢が多いといふ事が解る。螢は奇麗な水の精とも謂ツて可いのだから、自分の村には螢が澤山ゐた。何しろ六月から七月へかけて、螢の出る季節になると、自分の村は螢の光で明るい……だから、日が暮れて、新樹の木立の上に、宵の明星が鮮な光で煌き出すのを合圖で、彼方でも、此方でも盛に、
螢來い山吹來い、
彼方の水は苦いな、
此方の水は甘いな、
といふ呼聲が闇の中から、賑に、併し何となく物靜に聞える。
 丁度自分が、お祖父樣や父樣や母樣や姉樣と一所に、夕餐の團欒の最中に、此の聲が起るのだから耐らない。自分は急いで夕餐を濟まして、箸を投出すと直に、螢籠をぶらさげて、ぷいと家を飛出すのであツた。空が瑠璃のやうに奇麗に晴渡ツて、星が降るやうに煌いている晩に、螢を追駈廻してゐるのは、何樣なに愉快な事であツたらう。一體螢といふ蟲は、露を吸ツて生きて居るやうな蟲だから、性質が温順で捕へ易い。のんきなもので、敵が直ぐ頭の上に窺ツてゐるとも知らないで、ぴかり、ぴかり、體を光らしながら、草の葉裏で一生懸命に露を吸ツてゐる。其處のところを密と赤手で捕へて呉れる…… 暖い手で、握ツて遣ツても、濟アして掌を這ツてゐる奴を螢籠の中へ入れる…… 恰ど獄屋へ抛込まれたやうなものだが、些ともそれには頓着しない。相變らずぴかり、ぴかり體を光らしてゐる。それからまたふうわ、ふうわ飛んで來るのを眞ツ暗な中に待伏してゐて笹の葉か何んかで叩き落す。不意打を喰はせて俘にするのだが、後[#「後」は底本では「彼」]の連中は先へ來てゐる自分の仲間が此樣な災難に逢ツてゐるとは知らない。で、後から後から飛んで來るのを、片ツ端から叩落して、螢籠の中へ入れる。此の面白味忘れられぬから、螢狩は自分に取ツて、最も興味ある遊びの一つであツた。
 興味があるから、つい家から遠く離れて、歸途には往々とんだ怖ろしい思をする事もある。けれども螢に浮されて、半分は夢中になツてゐるのだから家の遠くなる事などは氣が付かう筈が無い。恰ど智慧の足りない將軍が勝に乗じて敵を長追するようなものでつい深入する。そして思も掛けぬ酷目な目に逢はされる事もあツた。例へば夜更けてから澤山の獲物を持ツて獨で闇い路を歸ツて來ると、不意に行方から、人魂が長く尾を曳いて飛出したり、または那のかはうそといふ奴が突然恐ろしい水音をさせて川に飛込むだり、又或は何處かの家で鷄の夜啼をするのが淋しく聞えたり、それから又、何者だか解らないが、見上げるやうな大きな漢子が足音もさせないで、…

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