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ドストイェフスキーに就いて
ドストイェフスキーについて
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「片上伸全集 第3巻」 日本図書センター
1997(平成9)年3月25日
入力者高柳典子
校正者岩澤秀紀
公開 / 更新2012-08-19 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 どんな人間でもその性格に皆多少の矛盾を有つてゐる。そしてその矛盾のために多少とも苦しみ惱んでゐる。そしてその矛盾の苦しみの烈しければ烈しいほどその求めてゐる統一に達することの困難であるのは勿論だが、同時にその大いなる矛盾は大いなる統一を豫想するものであるといへる。人の一生の幸不幸は、性格の矛盾の大小によつてきまるわけではなくてその矛盾がどれだけ統一せられつつ進んで行つたかといふことによつてきまる。また人の大小は、その矛盾の奧にそれを統一する人格の力がどれだけ力強く潜んでゐたかによつてきまる。トルストイのやうな人はこの意味で不幸な人であつたとは言へるが、しかし彼は大きな人であつた。あれだけの永い強い惱みに持ちこたへた力といふものは、彼の一生のあらゆる事業や著述や、一切の表に現れたもの以外によつて、彼の大きさを最もよく語つてゐる。
 ドストイェフスキーはその點では寧ろ幸福な人であつた。彼の一生は隨分不幸と災厄と貧困と疾病とのために苦しんだ一生であつたとはいふものの、それ等は彼にとつて本當の不幸とするに足らぬものであつた。彼の疾病や貧苦やは、自分以外の事情から來たところもあつたが、しかし殆ど凡て彼自身が自ら招いたものであつたと言つてよい。大方彼自身の性格が自ら惹き起したところであると言つてよい。彼は隨分不規律な放縱な惑溺の生活を送つた人である。彼はその性格にどこか大きな底の知れないやうな缺陷を有つてゐた人である。彼の性格にはどこかに底の拔けたやうな空罅があつて、一旦そこに觸れると何もかも吸ひ込まれ卷き込まれてしまふやうなところがあつた。彼の一生の不幸困難といふものも、多くはこの性格が招いたところである。
 しかし彼はその性格にかういふ「底知れぬ」闇を有つてゐたとともに、それよりも深い強い光りを有つてゐた。彼はその自分の光りに頼つて安心することの出來る人であつた。その闇が深ければ深いほど、その光りは益[#挿絵]明かに光りを放つた。彼の最も深い性格の根柢は、その光りの中に在つた。そしてこの光りは、彼の性格の闇黒を相手にして鬪ふに及ばぬ程に強い強いものであつた。そこがドストイェフスキーの強みである。彼の性格の缺陷は隨分人竝外れたものである。彼は隨分いろんな意味で底拔けである。その爲に隨分苦しんだり困つたりしてゐる。それでゐて彼はその苦しみや、それを招いた自分の性格の缺陷を眞向から相手取つて鬪つてはゐない。彼には自分の性格の矛盾といふやうなことを問題にして心を苦しめてゐるやうなところがない。特別にその矛盾や缺陷をどうかしようとしたりしてゐるところがない。少くともさういふ樣子が見えない。何だかさういふ點では平氣のやうにも見える。トルストイの惱みに比べてみると尚更さういふ感じがある。トルストイは隨分氣の毒な不幸な人であつたとして考へられるが、ドストイェフスキーはその點では非…

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