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学位について
がくいについて
作品ID42696
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第五巻」 岩波書店
1997(平成9)年4月4日
初出「改造 第十六巻第五号」1934(昭和9)年4月1日
入力者Nana ohbe
校正者浅原庸子
公開 / 更新2005-04-13 / 2016-02-25
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「学位売買事件」というあまり目出度からぬ名前の事件が新聞社会欄の賑やかで無味な空虚の中に振り播かれた胡椒のごとく世間の耳目を刺戟した。正確な事実は審判の日を待たなければ判明しない。
 学位などというものがあるからこんな騒ぎがもち上がる。だからそんなものを一切なくした方がよいという人がある。これは涜職者を出すから小学校長を全廃せよ、腐った牛肉で中毒する人があるから牛肉を食うなというような議論ではないかと思われる。
 こんな事件が起るよりずっと以前から「博士濫造」という言葉が流行していた。誰が云い出した言葉か知れないが、こういう言葉は誰かが言い出すときっと流行するという性質をはじめから具有した言葉である。それは、既に博士である人達にとっても、また自分で博士になることに関心をもたない一般世人にとっても耳に入りやすい口触わりの好い言葉だからである。ただ、これから学位を取ろうとしている少数の若い学者と、それらの人々の学位論文を審査すべき位置にある少数の先輩学者との耳には一つの警鐘の音のように聞こえる言葉である。
 しかし、この流行言葉を口にする人の中で、本当に学位濫造の事実があるかないかを判断するだけの資料と能力をもっている人がどれだけあるかは極めて疑わしいと思われる。
 学位を受ける人の年ごとの数が大きいということだけでは少しも濫造の証拠にはならない。何とならば、学術を真剣に研究する研究者の数が増加すれば、そのうちで相当立派な成績をあげて学位授与に十分な資格を具備する人の数も増加するのは数理的に当然のことだからである。多数の研究者のうちで、何かしら一つの仕事に成功して学位を得る人の数が研究者全体の数に対する統計的比率を不変と仮定しても、研究者の総数がN倍になれば博士の数もN倍になる。のみならず、競争が劇しくなるために研究者の努力が劇しくなればこの比率も増加しないとは限らない。一方ではまた、審査する方が濫造の世評を顧慮して審査の標準を高め、上記の比率を低下させるようにするかも知れない。しかし比率を半分に切り下げても、研究の数が四倍になれば、博士及第者の数は二倍になるのは明白な勘定であろう。
 こういう風に考えてみると、博士濫造の呼び声の高くなるのは畢竟学術研究者の総数の増加したことを意味し、従って我国における学術研究熱の盛んになったことを意味し、我学界の水準の高まったことを意味するのではないか。そうだとすれば濫造の噂が高ければ高いほど目出度い喜ばしいことだと云わなければならないのではないかと思われる。
 審査委員が如何に私情ないしは私利のためにもせよ、学位授与の価値の全然ないような低能な著者の、全然無価値かあるいは間違った論文に及第点をつけることが出来ると想像する人があれば、それは学術的論文というものの本質に関する知識の全く欠如している人に相違ないであろう。学術的論文…

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