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研究的態度の養成
けんきゅうてきたいどのようせい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第五巻」 岩波書店
1997(平成9)年4月4日
初出「理科教育 第一巻第七号」1918(大正7)年10月1日
入力者Nana ohbe
校正者浅原庸子
公開 / 更新2005-06-06 / 2016-02-25
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 理科教授につき教師の最も注意してほしいと思うことは児童の研究的態度を養成することである。与えられた知識を覚えるだけではその効は極めて少ない。今日大学の専門の学生でさえ講義ばかり当てにして自分から進んで研究しようという気風が乏しく知識が皮相的に流れやすいのは、小学校以来の理科教授がただ与えられた知識を覚えればよいというように教えこまれている結果であろう。これには最も必要なことは児童に盛んに質問させることである。何の疑問も起さないのは恥だという風に、訓練することが必要である。そうして児童の質問に対して教師のとるべき態度について二つの場合があると思う。その一は児童の質問に答うることの出来なかった場合である。その二は教師がよく知って答え得る場合である。
 前者の時には往々否多くの場合に教師はよい加減に誤間化して答えようとする傾きがある。これは甚だよくないことはいうまでもない。かくて児童が誤った、また全然誤っていないにしても浅薄な解釈しか出来ないことになる。この時はむしろ進んで、先生はこれを知らない、よく調べて来ましょう、皆さんもまたよく考えてお出でなさい、いろいろ六ヶしいまた面白いことがあるだろうと思いますといった風に取扱ってほしい。とにかく児童には、知らないことが恥でない、疑いを起さないこと、またこれを起しても考えなかったり調べなかったりすることが大なる恥である、わるいことであるといった精神を充分鼓吹してほしいと思う。教師がこの態度になることの必要は申すまでもなかろう。
 第二の場合には、教師は、そんなことを知らないのか、それはこうだといった風に事もなげに答えてしまう傾きがまた少なくないように見受ける。これはまた理科教育上極めて悪いことである。何となれば児童は知らないという事が大変悪い事と思って恥じ恐れて、それきり更になんらの疑問を起したり調べたりしないようになってしまうからである。ところが如何なる簡単なることでも実際よく調べてみるとなかなか六ヶしいことが多く、世界中の学者がよっても解決の出来ないようなことが少なくはないのである。たとえばビーカーをアルコールランプで下から熱すると水蒸気が出てそれがビーカーの外側にあたって冷却され、水粒がビーカーに附着する。これを見て児童はどうして出来るかと質問したときに、教師がそれをいいかげんに答えるのはいうまでもなく悪いが、これを知っている場合に、何でもないことだ、アルコールの燃える際に生ずる水蒸気がビーカーにあたって露になって着くのだといって、あまり無造作に片づけてしまうのは面白くないと思う。この時でも水蒸気が露のごとく水滴になるには何か塵のごとき微細ないわゆる凝縮核が必要であるし、ガラスの表面の性質によってつきかたにいろいろ異なった状態があったり、その他いろいろこの水に聯関した面白い問題があるのである。これらのことを全く考…

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