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青玉の十字架
サファイヤのじゅうじか
原題THE BLUE CROSS
著者
翻訳者直木 三十五
文字遣い新字新仮名
底本 「世界探偵小説全集 第九卷 ブラウン奇譚」 平凡社
1930(昭和5)年3月10日
入力者京都大学電子テクスト研究会入力班
校正者京都大学電子テクスト研究会校正班
公開 / 更新2009-08-23 / 2014-09-21
長さの目安約 41 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 朝の空を彩る銀色のリボンと、同じように海上を飾る緑色のリボンとの中を、船は進んで、ハーウィッチの港に着いた。すると、人々は蝿の群でもあるかのように、ちりぢりに各々目ざす方へと散って行った。その中に、今我々が語ろうとする男は、別に特別に注意を惹くものではなかったし――というよりも、注意を惹かれまいとしているのだった。彼の身のまわりには、祭りの日のような陽気さの中に、顔に浮んだ役人じみたもっともらしさがあるだけで別に注意すべきものは何もなかった。彼の服装はと言えば、うすい灰白色の短衣に純白のチョッキをつけ、青鼠色のリボンのついた銀色に光る麦藁帽を冠っていた。その対照で[#「対照で」は底本では「対象で」]、彼の面長の顔は黒味を帯びていたし、スペイン人のような、無雑作な黒い髯をつけているのが、エリザベス朝時代の頸飾を思わせた。彼はいかにも怠け者が重大事件にぶつかったとでもいうような格恰で巻煙草をふかしていた。要するに、彼の風態のうちにはその灰色の短衣が装填された拳銃をかくし、白いチョッキが警察章をかくし、またその麦藁帽が、ヨーロッパ中で最も有力な智能の一つをかくしていることを香わすような何ものもなかったのだ。しかり、この男こそ別人ならず、パリー警察界の頭、世界に名だたる検察官、ヴァランタンであったのだ。そして彼は、今、ブラッセルからロンドンへと、今世紀における最大の捕物をするために、乗り込んで行くところであったのだ。
 フランボーは英国に居たのだ。三ヶ国(仏、白、英)の官憲は、この大賊を、遂にガンからブラッセルへ、ブラッセルからオランダへと追跡したのだった。そして、その時ちょうどロンドンで開かれていた聖晩餐大会の人目に立ちそうもない混雑に紛れて何か仕事をするだろうと当りをつけたのだ。おそらく彼は、その大会に関係した何か事務員か書記のようなものに化け込んで旅行するに違いないのだった。とは言え、ヴァランタンにおいても、もちろん、それが確実にわかっている訳ではなし、誰しもフランボーをつきとめることは出来なかったのだ。
 この物凄い大賊が、世界中を荒らし廻ることをやめてから、長の年月がたっていた。彼が仕事をやめてからは、ローランが死んだあとで世間で言ったのと同じように、言わばこの地上に大平安の時が来たのだった。しかしながら、彼の最もよく(いやもちろん私は最も悪くと言いたいんだが)栄えていた時代には、フランボーは、カイゼルのように巨大な人物として認められたし、またそれほど国際的な人物になり切っていた。ほとんど毎朝の新聞は、彼が驚くべき犯罪から犯罪へといとまなく仕事をやって行きながら、そのたびにうまく遁走していることを報じていた。彼は巨人のような大男で、身をもって放れ業をやることにかけてはガスコン人の魂を持っていた。そして力技に対する興味が起ろうものなら、予審判事を逆立ちさせ…

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