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香水紳士
こうすいしんし
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「少女の友」 實業之日本社
1940(昭和15)年5月
初出「少女の友」實業之日本社、1940(昭和15)年5月号
入力者金光寛峯
校正者群竹
公開 / 更新2002-01-22 / 2014-09-17
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 品川の駅で、すぐ前の席へ、その無遠慮なお客さんが乗り込んで来ると、クルミさんは、すっかり元気をなくしてしまった。
「今日は、日本晴れですから、国府津の叔母さんのお家からは、富士さんがとてもよく見られますよ」
 お母さんからそう聞かされて、喜び勇んでお家を出たときの元気はどこへやら、座席の片隅へ小さくなったまま、すっかり悄げかえって、窓越しに、うしろへ飛び去って行く郊外近い街の屋根々々を、ションボリ見詰めつづけるのだった。
 東京駅発午前八時二十五分の、伊東行の普通列車である。
 その列車の三等車の、片隅の座席に、クルミさんは固くなって座っているのだ。
 日曜日で、客車の中には、新緑の箱根や伊豆へ出掛けるらしい人びとが、大勢乗っている。
 しかしクルミさんは、箱根や伊豆へ出掛けるのではない。ずっと手前の、国府津の叔母さんのところへ行くのだった。
 国府津の叔母さんのところには、従姉の信子さんがいる。信子さんは、クルミさんより五つ年上の二十一で、この月の末にお嫁入りするのである。クルミさんは、日曜日を利用して、娘時代の信子さんへの、お別れとお慶を兼ねて、叔母さんのお家へ出掛けるのだった。
 網棚の上の風呂敷の中には、お母さんから托された、お祝いの品が包んである。昨日、お母さんと二人で、新宿へ出てととのえた品であった。が、その時、おなじ店で、お母さんに知れないように、自分だけのお祝いのつもりで、買い求めたもう一つの品物がある。
 それは、クルミさんの制服のポケットの中に、こっそり忍ばせてあった。
 可愛い真紅のリボンをかけた、小さな美しい細工の木箱にはいった香水だった。
「なにか、あたしだけのお祝いをあげたい‥‥」
 と思い、
「なんにしようか知ら?」
 と考えて、思いついた品だった。
「これ、あたしだけの、お祝い‥‥」
 そういって、こっそり信子さんに渡すときの楽しみを、昨夜から胸に描いていたクルミさんである。
 その香水の、可愛い木箱と一緒に、クルミさんのポケットの中には、チューインガムとキャラメルがはいっている。快い小旅行への、楽しい用意であるはいうまでもない。
 実際、クルミさんは、今日の国府津行を、もう三日も前から、夜も眠られないほど楽しみにしていた。
 いよいよ今朝になると、もう御飯もろくに咽喉を通らない。
「駄目ですよ、クルちゃん。御飯だけは、ウンと食べて行かなくっては‥‥」
 お母さんにたしなめられても、
「だって、いただきたくないんですもの。もし、おなかがすいたら、大船でサンドウィッチを買いますわ。あすこのサンドウィッチ、とてもおいしいんですもの」
「まア、あきれたおしゃまさんね。どこからそんなこと聞き噛ったの?」
「あーラいやだ。だって、去年の夏、鎌倉の帰りに、お母さんが買って下さったじゃないの‥‥」
 そんなわけで、早々にお家を飛びだ…

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