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寒山拾得縁起
かんざんじっとくえんぎ
作品ID43039
著者森 鴎外
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鴎外全集 第十六卷」 岩波書店
1973(昭和48)年2月22日
入力者青空文庫
校正者
公開 / 更新1997-10-08 / 2014-09-17
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 徒然草に最初の佛はどうして出來たかと問はれて困つたと云ふやうな話があつた。子供に物を問はれて困ることは度々である。中にも宗教上の事には、答に窮することが多い。しかしそれを拒んで答へずにしまふのは、殆どそれは[#挿絵]だと云ふと同じやうになる。近頃歸一協會などでは、それを子供のために惡いと云つて氣遣つてゐる。
 寒山詩が所々で活字本にして出されるので、私の内の子供が其廣告を讀んで買つて貰ひたいと云つた。
「それは漢字ばかりで書いた本で、お前にはまだ讀めない」と云ふと、重ねて「どんな事が書いてあります」と問ふ。多分廣告に、修養のために讀むべき書だと云ふやうな事が書いてあつたので、子供が熱心に内容を知りたく思つたのであらう。
 私は取り敢へずこんな事を言つた。床の間に先頃掛けてあつた畫をおぼえてゐるだらう。唐子のやうな人が二人で笑つてゐた。あれが寒山と拾得とをかいたものである。寒山詩は其の寒山の作つた詩なのだ。詩はなか/\むづかしいと云つた。
 子供は少し見當が附いたらしい樣子で、「詩はむづかしくてわからないかも知れませんが、その寒山と云ふ人だの、それと一しよにゐる拾得と云ふ人だのは、どんな人でございます」と云つた。私は已むことを得ないで、寒山拾得の話をした。
 私は丁度其時、何か一つ話を書いて貰ひたいと頼まれてゐたので、子供にした話を、殆其儘書いた。いつもと違て、一册の參考書をも見ずに書いたのである。
 此「寒山拾得」と云ふ話は、まだ書肆の手にわたしはせぬが、多分新小説に出ることになるだらう。
 子供は此話には滿足しなかつた。大人の讀者は恐らくは一層滿足しないだらう。子供には、話した跡でいろ/\の事を問はれて、私は又已むことを得ずに、いろ/\な事を答へたが、それを悉く書くことは出來ない。最も窮したのは、寒山が文殊で、拾得は普賢だと云つたために、文殊だの普賢だのの事を問はれ、それをどうかかうか答へると、又その文殊が寒山で、普賢が拾得だと云ふのがわからぬと云はれた時である。私はとう/\宮崎虎之助さんの事を話した。宮崎さんはメツシアスだと自分で云つてゐて、又其メツシアスを拜みに往く人もあるからである。これは現在にある例で説明したら、幾らかわかり易からうと思つたからである。
 しかし此説明は功を奏せなかつた。子供には昔の寒山が文殊であつたのがわからぬと同じく、今の宮崎さんがメツシアスであるのがわからなかつた。私は一つの關を踰えて、又一つの關に出逢つたやうに思つた。そしてとう/\かう云つた。
「實はパパアも文殊なのだが、まだ誰も拜みに來ないのだよ。」



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