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中里介山の『大菩薩峠』
なかざとかいざんの『だいぼさつとうげ』
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「三田村鳶魚全集 第廿四巻」 中央公論社
1976(昭和51)年12月25日
初出「日本及日本人」1932(昭和7)年10月15日号、11月1日号
入力者網迫、門田裕志
校正者小林繁雄
公開 / 更新2006-09-20 / 2014-09-18
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     上

 中里介山さんの『大菩薩峠』(普及本の第一巻)を読んでみる。これは最初のところは、奥多摩の地理や生活ぶりが書いてあるので、そこに生れた作者にとっては、何の造作もない、まことに危なげのないところでゆける。しかし例の通り言葉遣いや何かの上には、おかしいところがある。それから武家の生活ということになると、やはりどうもおかしいところが出てくる。これは大衆文芸として、早い方のもののようでありますが、怪しい方でも同じく早いということになるんだろうと思う。
 一二頁のところで、宇津木文之丞の妹だといって、この小説の主人公である机竜之助を訪ねて来た女がある。その言葉に「竜之助様にお目通りを願ひたう存じまして」とあるが、この女は実は文之丞の女房で、百姓の娘らしい。文之丞は千人同心ということになっている。竜之助の方はどういう身柄であったか、書いてないからわからない。道場を持っているし、若先生ともいわれているけれども、あの辺のところに、郷士があったということも聞いていない。竜之助の身分はわかりませんが、しばらく千人同心程度としても、「お目通り」は少し相場が高い。「お目にかゝりたい」くらいでよかろう。書生さんを先生といえば、かえってばかにしたように聞える。わずかなことのようだけれども、これも各人の生活ぶりを知らないから起ることだと思う。
 それからそこで竜之助のところにいる剣術の弟子達のいうことを聞くと、「賛成々々」とか、「宇津木の細君か」とかいう漢語が出る。これはおよそ文久頃と押えていい話だと思うが、こんなわけもない漢語のようでも、まだザラに遣われている時ではない。
「宇津木文之丞様の奥様」ということもここにあるが、千人同心などというものは、三十俵か五十俵しか取っていないのですから、そういう者の妻を、どこからでも「奥様」なんていうはずはない。奥様のことは、実に度々繰り返して言いましたが、大衆文芸というと、申し合せたように、こういう間違いを繰り返しているんだから仕方がない。ここでもまた繰り返しておきます。
 一八頁に竜之助の言葉として、「如何なる人の頼みを受くるとも、勝負を譲るは武術の道に欠けたる事」とある。剣道とか、武道とかいう言葉はあったでしょう。「武術の道」なんていう言葉は、この時代としては不似合である。
 四十頁の御嶽山で試合をするところ、双方の剣士を呼び出すのに、一方の「甲源一刀流の師範、宇津木文之丞藤原光次」はいい。一方を「元甲源一刀流、机竜之助相馬宗芳」という。これは「平宗芳」というべきはずのところだと思う。たしかにこれは間違っている。同じところにある「音無しの構」というものは、撃剣家の方では、何流にもないという話を聞いている。そういうことは、あるいは小説だけに、勝手に拵えてもいいかとも思われるが、氏名を呼ぶ方は、こういう場合に、姓のほかに在名を遣うこ…

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