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東西交通史上より観たる日本の開発
とうざいこうつうしじょうよりみたるにほんのかいはつ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桑原隲藏全集 第一卷 東洋史説苑」 岩波書店
1968(昭和43)年2月13日
初出「開國文化」1929(昭和4)年11月
入力者はまなかひとし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2002-03-04 / 2014-09-17
長さの目安約 40 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私の講演は「東西交通史上より觀たる日本の開發」といふ題目である。他の講師方の講演題目は、日本の開國の當時、若くは開國以後に關することが多いが、私の講演は寧ろ開國以前に關するもので、我が日本が開國に至るまでに、いかなる風にして、世界に知られて行つたかといふことを、主として御話いたしたいと思ふ。
 抑[#挿絵]我が日本は建國以來既に約二千六百年を經て、隨分世界の舊國の一として知られてゐるのであるが、單に舊いといふだけでは、日本の誇にはならない。舊いは舊いが併しまた同時に新しいことが、實に日本の誇るべき點であらうと思ふ。日本は建國以來約二千六百年といふ長い年月を閲しつつ、その間絶えず發展進歩を續けて來た、實に新しい國である。この點が日本の特色である。舊い國は兔角或る時期に於いて、國運が停滯するとか、或は老衰するといふことを免れないのであるが、獨り我が日本のみが、絶えず發展進歩を續け得た所以は、何に因るかといへば、それは日本國民が外國と觸接して、絶えずその新しい文化、新しい知識を攝取していつたといふことに歸するのである。
 元來日本は古代に於ける世界の交通の上から見ると所謂絶海の孤島で、極めて交通不便な位置に立つて居つた。世界の交通、東洋と西洋との交通は隨分古く、二千年近くも以前から開けて、ギリシア人などは夙に東洋方面へ出掛けて來て居る。しかしその東洋といふのは支那までで、日本へは來てゐない。日本が遠いヨーロッパ諸國と交通を開始したのは、支那より一千年も一千五百年もおくれてゐる。日本は交通の上から觀ると、此の如く不便な地位に立つたに拘らず、日本國民は外國と觸接する機會ある毎に、その新しい文化、新しい知識を攝取すべく努力したので、この點は餘程朝鮮人や支那人と趣きを異にしてゐると思ふ。支那人や朝鮮人などは古代に於ては、日本よりも遙に交通上、便利な位置に立つたのであるが、その外國の新知識や新文化を取入れる熱心さにおいて、到底日本人のそれに比較にならぬのである。日本人は支那人や朝鮮人に比して、遙に外國の新知識や新文化を攝取するに熱心であつた。これが東亞に於て日本のみが今日の如く優勝の地位を占めるに至つた主要なる原因であらうと思ふ。
 我が國は歐米諸國と交通を開いて以來、殊に明治時代に、盛に西洋の文物を輸入した。その熱心さは世界の驚嘆する所であるが、併しこの態度は、必ずしも西洋の文物に對してのみでなく、また明治時代に限つた譯でない。維新の五ヶ條の御誓文の一にある、知識を世界に求めて、大いに皇基を振起することは、我が國古來傳統の大方針と認めねばならぬ。そのかみ唐と交通した時代に、支那の文物を輸入した熱心な態度も、またポルトガル人の來航した時代に、極西の知識を輸入した熱心な態度も、格別明治時代のそれに遜色がなかつた。私は二三の實例を擧げて、これを證明しようと思ふ。

 唐時代に…

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