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鸚鵡のイズム
おうむのイズム
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第七巻」 岩波書店
1997(平成9)年6月5日
初出「改造」1920(大正9)年11月
入力者Nana ohbe
校正者浅原庸子
公開 / 更新2005-01-08 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 この頃ピエル・ヴィエイという盲目の学者の書いた『盲人の世界』というのを読んでみた。
 私は自分の専門としている科学上の知識、従ってそれから帰納された「方則」というものの成立や意義などについて色々考えた結果、人間の五感のそれぞれの役目について少し深く調べてみたくなった。そのためには五感のうちの一つを欠いた人間の知識の内容がどのようなものかという事を調べるのも、最も適当な手掛りの一つだと思われた。それを調べた上で、もし出来るならば、世界中の人間がことごとく盲あるいは聾であったとしたらこれらの人間の建設した科学は吾々の科学とどうちがうか、という問題を考えてみたいと思っている。そういうわけで盲人や聾者の心理というものに多大な興味を感ずるようになった。
 それでこの間この書物を某書店の棚に並んだ赤表紙の叢書の中に見附けた時は、大いに嬉しかった。早速読みかかってみるとなかなか面白い。丁度自分が知りたいと思っていたような疑問の解釈が到る処に出て来た。そして更に多くの新しい問題を暗示された。
 しかし私が今ここに書こうと思ったのはこの書物の紹介ではない。ただこれを読んでいる間に出会った一つの妙な言葉と、それについてちょっと感じた事だけである。
 この書物の第十五章は盲と芸術との交渉を述べたものであるが、その中に、盲で同時に聾のヘレン・ケラーという有名な女の自叙伝中に現れた視覚的美の記述がどういう意味のものかという事を論じた一節がある。その珍しい自叙伝中から二、三小節を引用してあるのを見ると、例えば雪の降る光景などがあたかも見るように空間的に描かれている。あるいは秋の自然界の美しい色彩が盲人が書いたとは思われないように実感的に述べてある。しかし著者はこのような光景は固より盲者にとっては何らの体験にも相応しないバーバリズムに過ぎないという事を論じ、それから推論して、ケラーが彫刻を撫で廻せばその作者の情緒がよく分るといった言葉の真実性を疑っている。
 私はこれを読んだ時に何だか物足りないような気がした。ケラーの主張が本当であり得るような気がすると同時に、そうであらせたいという気もした。しかし自分は盲でない。ヴィエイという優れた盲の学者の説に反対すべき何らの材料も持ち合せない。しかし少なくもこれだけの事は云われると思う。すなわち芸術に対する感受性は必ずしも各人に普遍的なものではないから、ヴィエイが感得しないある物をケラーが感じるという可能性は残っている。
 ヘレン・ケラーは生後十八ヶ月目に重い病のために彼女の魂と外界との交通に最も大切な二つの窓を釘付けされてしまったにかかわらず、自由に自国語を話し、その上独、仏、羅、希にも通ずるようになった。指先を軽く相手の唇と鼻翼に触れていれば人の談話を了解する事が出来る。吾々の眼には奇蹟のような女である。匂や床の振動ですぐに人を識別する女であ…

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