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陳情書
ちんじょうしょ
作品ID43422
著者西尾 正
文字遣い新字新仮名
底本 「幻の探偵雑誌1 「ぷろふいる」傑作選」 光文社文庫、光文社
2000(平成12)年3月20日
初出「ぷろふいる」ぷろふいる社、1934(昭和9)年7月号
入力者網迫、土屋隆
校正者川山隆
公開 / 更新2006-09-23 / 2016-02-20
長さの目安約 40 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

There are more things in heaven and earth, Horatius, Than are dreamt of in your philosophy.[#挿絵]Shakspeare, Hamlet.[#挿絵]
ハムレット「――この天地の間にはな、所謂哲学の思いも及ばぬ大事があるわい。……」
[#挿絵]シェクスピア[#挿絵]

 M警視総監閣下
 日頃一面識も無き閣下に突然斯様な無礼な手紙を差し上げる段何卒お許し下さい。俗間の所謂投書には既に免疫して了われた閣下は格別の不審も好奇心をも感ぜられず、御自身で眼を通すの労をすら御厭いになる事かとも存じますが、私の是から書き誌す事柄は他人の罪悪を発かんとする密告書でも無ければ、閣下の執政に対する不満の陳情でも御座いません。実は私は一人の女を撲殺した男でありまして、――と申しましても私自身その行動に就いては或る鬼魅の悪い疑問を持っているのでありますが、然も己が罪悪を認めるに聊かも逡巡する者でなく会う人毎に自分は人殺しだと告白するにも拘わらず、市井の人は申すに及ばず所轄警察署の刑事迄が私を一介の狂人扱いにして相手にしては呉れません。閣下の部下は、閣下は、我が日本国の捜査機関は、一人の殺人犯を見逃してそれで恬然と行い済ませて居られるのでありましょうか? 私は私の苦しい心情を、殺人犯で有り乍ら其の罪を罰せられないと云う苦しさを、閣下に直接知って戴いた上其の罪に服し度いとの希望を以て此度斯うして筆を取った次第であります。一個の文化の民として、罪を犯し乍ら其の罰を受けないと云うのは、如何許り苦しい事でありましょうか?――。是は其の者に成って見なければ判らない煩悶でありましょう。何よりも私は世間の者より狂人扱いにされる事が堪らなく苦痛なのでありまして、此の儘此の苦痛が果し無く続くものであるならば、いっそ首でも縊って我と我が命を断つに如かないと屡々思い詰めた事でありました。私が何故一人の女を、私自身の妻房枝を殺さなければならなかったか?――。其の理由を真先に述べるよりも、私が初めて妻の行動に疑惑を抱いた一夜の出来事から書きつづる事に致しましょう。[#挿絵]斯く申し上げれば閣下は「お前の女房は焼け死んだのではないか」と反駁なさるかも知れませんが、私は他ならぬ其の誤謬を正し私と共々此の不気味な問題を考えて頂き度いのでありますから、短気を起さずと何卒先を読んで下さいまし。[#挿絵]それは昨年の二月、日は判乎と記憶にはありませんが、何でも私の書いた原稿がM雑誌社に売れてたんまり稿料の這入った月初めの夜の事でありました。現在でも私は高円寺五丁目に住んで居りますが、其の頃も場所こそ違え同じ高円寺一丁目の家賃十六円の粗末な貸家を借りて、妻の房枝と二歳になる守と共々に文筆業を営んで居たのであります。元々私の生家は相当…

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