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信仰個条なかるべからず
しんこうかじょうなかるべからず
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1974(昭和44)年6月5日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2006-08-13 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 旗色分明ならずんば三軍何を以て向ふ所を知らんや。信条は異論に対し、他派に対し、同一普通の信仰を有する一隊が敵と味方と朋友とを区別せんが為めの旌旗なり。是れ微つせば以て精神界に出でゝ統制一致の運動を為す能はず。
 故に信条は歴史の産物なり。信条の生ずるは勢の必至なるものなり。
 人或は曰ふ信条の如き狭隘、独断の物を掲げて以て世に示すことは思想の自由を尊ぶ者をして其中に入るを嫌はしむるの媒たりと。異なる哉言や。吾人は思想の自由を尊ぶが故に信条を掲げて以て去就を明かにせんとする也。天下の心は猶天下の面の如し。人々異なれり、誰れか狭隘の譏を免れん、誰れか独断の譏を免れん。総ての人を感服せしむることは基督と雖も能はざりしなり。故に信条を掲げて以て来る者を歓迎し、往く者は尤めざる也。横井時雄氏曾て信仰を告白し、内村鑑三氏亦信仰を告白す。是れ二君の信仰なり。二君安心立命の地なり。二君の敵と味方と朋友(精神界の)とは此告白に因りて決すべきなり。吾人は二君の為めに此挙あるを喜ぶ。此に依りて略二君立脚の地を知り略二君の旗色を解したればなり。
 新信条を以て旧信条に代ふべしと曰ふは可なり。之を増減刪加すべしと曰ふは可なり。之を置くの可否を論ずるに至りては事理を解せざるの太甚しき者也。
 吾人は我教会に斯の如き空論家多きものありと曰はず。教師に空論の説教を為す者ありと曰はず。然れども今日の時に方りて何人も自ら此点に就て省みるの必要は必ず有りと信ずる者也。何となれば日本の地、日本の現時は実に基督教の救済を要するものあり、而して是唯基督教の精神を我社会に実現するによりてのみ行はるべきものにして、今の時は徒らに神学、哲学、理想を語りて止むべきの時に非ずと信ずればなり。
 吾人は国家と基督教てふ二個の名詞を聞くこと多し。吾人も亦二者の関係を解せざる者に非ず。国家の生命と元気とは堅固なる信仰、高尚なる道徳に頼りてのみ栄ゆるものなることを信ずる者なり。吾人は又屡々愛国及び基督教てふ声を聞き政府及び教会てふ声を聞き、社会問題及び教会てふ声を聞く。若し明治十八九年を以て学術及び基督教の関係が説かれたる時代なりとせば近き二三年は国家、社会及び基督教の関係が重もに説かるゝの時代なりと曰ふべし。夏来れば蝉は必らず鳴く者なり。時勢の推移、此に至りしこと強ちに尤むべからずと雖も、吾人にして若し唯基督教の国家社会を利する所以をのみ論じて、而して之を実地に応用するは必らず先づ一個人より始めざるべからざることを忘却せんには、是れ天上の星を仰ぎて足を溝に失したる古の哲学者に類せざらんや。
 吾人は屡々諸教会の教師より其の講題を蒐めて日本の講壇は重もに何を説くかを観察せんと欲したりき。吾人未だ之を為すに暇あらざりしと雖も、其事大抵察すべきのみ。若し我が講壇をして単に教師が其理想、其議論を語るの所たるに止まらしめば、…

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