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頑執妄排の弊
がんしゅうもうはいのへい
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日
初出「文學界 五號」文學界雜誌社、1893(明治26)年5月31日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2005-05-06 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 宇宙を観察するの途二あり、一は宇宙を「死躰」として観るにあり、他は宇宙を「生躰」として観るにあり、人生を観察するの途二あり、一は人生を今世に限られたるものとして観るにあり、他は人生を未来に亘るものとして観るにあり。爰に於て吾人は知る、人間世に処するの途は、現在に希望を置くと、未来に希望を置くとの二岐に分るゝあるのみ。更に去つて歴史を観るに、盛衰興亡の端多く、一去一来の跡空しきも、之を要するに、歴史の中心潮は、未来の希望を現実に適用するにあるのみ。悠々たる天と、[#挿絵]々たる地の間に孰れの所にか墳墓なる者あらんや、其の之あるは、人間の自から造れる者なり、国民の自から造れる者なり。印度自から其墳墓に埋もれたり、羅馬自ら其墳墓に沈みたり、彼等は去れり、然れども彼等を葬りし墳墓は彼等と共に其影を撤したり、天下孰れの処にか墳墓なる者あらんや、世界は墳墓に赴くにあらず、頭を挙げて蛇行するが如き此世界は、遂に「生命」に達すべき者なり。「記憶」渠唯だ記憶のみ、「過去」渠唯だ過去のみ、「未来」には権あり、「希望」には命あり。
 過去現在未来は全宇宙の所有物にして、人間の私有にあらず、時間と空間は人間を、或る立塲に繋げども、人間は過、現、未、の中心に立つて動く者にあらず。然りと雖、宇宙の人間に対するは蛇の蛙に於けるが如くなるにあらず、人間も亦た宇宙の一部分なり、人間も亦た遠心、求心の二引力の持主なり、又た二引力の臣僕なり。魚市に喧囂せる小民、彼も亦た宇宙に対する運命に洩れざるなり、彼も亦た彼の部分を以て、宇宙を支配しつゝあるものなり、この観を以てすれば、王侯将相と彼との間に何の径庭あらんや。
 宇宙に精神あるが如く人間にも亦た精神あるなり、而して人間個々の希望は、宇宙の精神に合するにあり、人間世界の最後の希望は、全く宇宙の精神に合躰するにあり。唯理論、唯心論、もしくは又た唯物論、彼等何ものぞ、もしくは又た凡神教、彼等何ものぞ、彼等の一を仮ることなくんば、彼等の一に僻することなくんば、遂に人間の希望を達すること能はずとするか、何が故に唯心論を悪しとするか、何が故に凡神論を悪しとするか、何が故に唯物論を悪しとするか、又た何が故に彼等を善しとするか、空々漠々たる癖論家よ、民友子大喝して曰く、「ベベルの高塔を築かんとするは誰ぞ」と。
 彼の唯物論、彼の唯心論、彼の凡神論、彼等は各々其使命を帯びて来れり、而して彼等は各、其使命の幾分を遂げたり、而して彼等は各々其誤謬を残したり。看よ人間の歴史は、恒に善き事をなして、恒に悪しき事を為すにあらずや。恒に真理に近づき、恒に真理に遠かるにあらずや。恒に進歩して、恒に退歩するにあらずや。然れども記憶せよ、宇宙の精神と、人間の精神とは、恒に進歩にして恒に退歩なる中にありて、相接近しつゝあるにあらずや。唯心論を以て唯物論を罵るは誰ぞ。唯物論を以て唯…

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