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我牢獄
わがろうごく
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日
初出「女學雜誌 三二〇號」女學雜誌社、1892(明治25)年6月4日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2005-06-26 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 もし我にいかなる罪あるかを問はゞ、我は答ふる事を得ざるなり、然れども我は牢獄の中にあり。もし我を拘縛する者の誰なるを問はゞ、我は是を知らずと答ふるの外なかるべし。我は天性怯懦にして、強盗殺人の罪を犯すべき猛勇なし、豆大の昆虫を害ふても我心には重き傷痍を受けたらんと思ふなるに、法律の手をして我を縛せしむる如きは、いかでか我が為し得るところならんや。政治上の罪は世人の羨むところと聞けど我は之を喜ばず、一瞬時の利害に拘々して、空しく抗する事は、余の為す能はざるところなればなり。我は識らず、我は悟らず、如何なる罪によりて繋縛の身となりしかを。
 然れども事実として、我は牢獄の中にあるなり。今更に歳の数を算ふるもうるさし、兎に角に我は数尺の牢室に禁籠せられつゝあるなり。我が投ぜられたる獄室は世の常の獄室とは異なりて、全く我を孤寂に委せり、古代の獄吏も、近世の看守も、我が獄室を守るものにあらず。我獄室の構造も大に世の監獄とは差へり、先づ我が坐する、否坐せしめらるゝ所といへば、天然の巌石にして、余を囲むには堅固なる鉄塀あり、余を繋ぐには鋼鉄の連鎖あり、之に加ふるに東側の巌端には危ふく懸れる倒石ありて我を脅かし、西方の鉄窓には巨大なる悪蛇を住ませて我を怖れしめ、前面には猛虎の檻ありて、我室内に向けて戸を開きあり、後面には彼の印度あたりにありといふ毒蝮の尾の鈴、断間なく我が耳に響きたり。
 我は生れながらにして此獄室にありしにあらず。もしこの獄室を我生涯の第二期とするを得ば、我は慥かに其一期を持ちしなり。その第一期に於ては我も有りと有らゆる自由を有ち、行かんと欲するところに行き、住まらんと欲する所に住まりしなり。われはこの第一期と第二期との甚だ相懸絶する者なる事を知る、即ち一は自由の世にして、他は牢囚の世なればなり、然れども斯くも懸絶したるうつりゆきを我は識らざりしなり、我を囚へたるものゝ誰なりしやを知らざりしなり、今にして思へば夢と夢とが相接続する如く、我生涯の一期と二期とは[#挿絵]々たる中にうつりかはりたるなるべし。我は今この獄室にありて、想ひを現在に寄すること能はず、もし之を為すことあらば我は絶望の淵に臨める嬰児なり、然れども我は先きに在りし世を記憶するが故に希望あり、第一期といふ名称は面白からず、是を故郷と呼ばまし、然り故郷なり、我が想思の注ぐところ、我が希望の湧くところ、我が最後をかくるところ、この故郷こそ我に対して、我が今日の牢獄を厭はしむる者なれ、もしわれに故郷なかりせば、もしわれにこの想望なかりせば、我は此獄室をもて金殿玉楼と思ひ了しつゝ、楽き娑婆世界と歓呼しつゝ、五十年の生涯、誠に安逸に過ぐるなるべし。
 我は我天地を数尺の大さと看做すなり、然れども数尺と算するも人間の業に外ならず、之を数万尺と算ふるも同じく人間の業なり、要するに天地の広狭は心の広狭にあ…

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